8月度定例会 8月7日(木)「暑気払い」上野桜木亭(福田会員のお店) 参加者 13名+1名=計14名 司会進行 野田会員
川田代表挨拶 宴 会 乾杯の音頭 半澤会員 眼下に広がる池之端・不忍池を眺め、美酒を傾け、ゲストの和服姿も艶やかな 高橋さんも加わり、大いに語り合い、楽しい一時を過ごす。 最後に内海会員の手締めにてお開き |
9月度定例会 休 会 本年度研修旅行を計画 本年度研修旅行を計画 9月25〜26日(土・日) 加賀温泉郷 一泊二日 参加者7名 しかし、阪急トラピックスの都合にて、急遽中止! 非常に残念でした。 |
研修分科会 8月度 研修会 8月25日 丸勝建設 7+1=8名
1.「本」研修
「2010年・日本と世界はこうなる」日下部公人著 第6回 全員にて輪読後・各自感想を 2.皆さん一言 3.皆さんの一言 9月度 研修会 9月22日 丸勝建設 5名
1.「本」研修 「2010年・日本と世界はこうなる」日下部公人著 最終回 全員にて輪読後・各自感想 2.次回からの研修「本」選定 鈴木会員推薦 「新・日本経済入門」三橋貴明著に決定 3.皆さん一言 |
パソコン分科会 9月度勉強会
9月11日 山下ソフト 4名 ブラインドタッチ勉強 |
ゴルフ部会 8月度 8月11日 6+2=8名
コンペ 9月度 9月4日 ゴルフ練習 2名
曳舟東武ボール屋上 |
小旅行分科会 8月7日 上野動物園散策 5名
暑気払いの前に有志にて 午後4時、上野駅公園口前集合、動物園に大の大人が子供に返り、楽しく散策、暑気払い会場へ 加賀温泉郷 9/25〜26 都合により中止 |
たけのこ山分科会 行事なし |
ものづくり分科会 第1回は10月20日予定
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落花生分科会 煎り落花生 今年の受付開始
10/16 山仕事と畑見学予定 |
分科会合同納涼会 9月11日 鐘淵 しゃぶでん 10名 異グ連交流グループ連絡会議 フォーラムインすみだ
もの作りフェア委員会 H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加
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第6回 8月20日 丸勝建設 9名 川田代表進行
1.8月暑気払いについて一言
2.9月研修旅行について 3.10月度定例会の勉強会について 「アフガンの話」講師 谷山さん 4.11月度定例会に誰を講師にと候補を検討 5.本年度フォーラムについて 6.ものづくり分科会を活動させる 第3水曜日に 7.各分科会より一言 8.本年の忘年会について 第7回 9月17日 丸勝建設 7名 川田代表進行
1.9月度「研修旅行」旅行会社の都合にて 中止報告 2.10月度定例会「講演会」について説明 3.11月度定例会「講演会」講師選定 いろいろ候補が出る 4.本年度忘年会、新年会について 日時、場所、会費につて検討 5.ものづくり分科会について 6.新入会者有るかも、説明 7.その他 |
上野動物園
子どものころの動物園とずいぶん様子が違ってました。 柵の向こうのほうのコンクリのステージに、ロダンの彫刻のようにずっと座り込んでいた一頭のゴリラ・・・だったのが、今は広いに庭に何頭も一緒に暮らしている様子が、大きなガラス越しに見学できます。 北海道の旭山動物園の影響でしょうね。 「わぁ、ゴリラだぁ」 とはしゃぐ声、 「お姉さん、それカガミだよ」 ってジョークは言ってません。 |
上海レポート
平成22年9月3日〜5日
鈴木 良昇 4日(土)早朝バスで30分ほどの万博会場へ向かいましたが、既に会場内は人・人・人と入場するには2時間ほどかかりました。それにしても待たされる事に慣れている現地の人達は静かに列を乱すことなく整然と並んでいたのには、またまた驚かせられました。さて、入場してすぐ人気のある日本館を見学できました。日中交流の鳥、トキを中心に日本の最前線のロボット、映像がくりだすストーリー、生活様式、文化に見学者は感動感銘していました。 会場内の移動はEV(電気自動車・バス・が音もなく静かに走っていました)と酷暑のなかの徒歩で汗をかきながら見学しました。昼食はスリランカ館内のレストランで美味しい?? ビールと軽食で過ごしました。一緒に行った仲間達の中にはビール&ランチで午後の見学は止めてホテルへ帰りました。え? 何しに来たの・・・・ 猛烈なスピードで開発される上海市内の遠望と地上101階、高さ492mの森ビルさすがに高い!! アジア一高い電波搭も小さく感じられます。宿泊した五つ星ホテルの洗面所のコンセントが何とひげそり専用のコンセントでした。普通ドライヤー兼用と思うのですが、ドライヤーは室内の鏡の横のコンセントを利用しました。仕事柄初めて見るコンセントでした。この謎は解決したいです。 訪れるたびに激変する中国ですが、接客、設備、精度・人間性(自分勝手?)コピー商品の氾濫と我が国と比べて劣る点があるのも事実です。現地の数人の日本語を話せる人達に聞きましたが、いろんな意味で日本との差(30年間ぐらい)は確かにあり、全ての面でどんなに頑張っても日本を追越すことは不可能だと異口同音に話していました。 日本との差はともかく中国、上海パワーに魅せられた3日間でした。 再見!!
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バングラデシュの旅
内海 恒人
夏休み後半、田舎のお盆も過ぎて異常な暑さでうだるなか、たまたま知り合いのバングラデシュ出身の女性が帰国するというので「案内する」一緒に行こう。いつかは行ってみたいと思っていたので仲間探したが、さすがにいない、玄田先生を誘ったらこれが二つ返事でOK。さぁ、それからが大変。ビザが無ければ行けないし、彼女は再入国できないかもしれない、等、等。なんとかクリアしてお盆過ぎの19日に決めた。 直行便がない、香港経由が一番早いそうだがチケットが買えない。マレーシア航空のクアラルンプール、トランジット(6時間)してバングラデシュの首都 ダッカ、結局10時30分成田発、ダッカ着夜中の12時30分。時差が3時間だから、機中だけでも11間乗っていた。距離的にはそう遠くはないのだが、えらく疲れる。 翌朝から市内視察一緒に行った女性の名は「ナハル」さん,ナハルさんの娘、甥、姪も(8人乗りの)ワゴン車をチャーターし、ガイド付き(但し英語)。現地人5人とならどこへ行くにも心強い。ダッカ市内は東京23区内の広さに約1500万人の人間が住んでいる。街中を走り始めてすぐ、人、人、人の多さに驚き圧倒された。小型の市場が沢山あって朝から多数の人達でごったがえしている。リキシャ、小型の3輪タクシー等,動くものならあらゆるものが道路にひしめいている。大きな青物市場があった。周辺はまったく規律のない混濁の世界だ。 足元は泥濘、長靴などない、ゴムのサンダルでもはいている人はいいほう、ほとんどは裸足、笊を頭に乗せて運ぶのが一般的みたいだ。−−道路走るのにルールがあるのか? 交差点に警官がいるのだが歩行者も車・リキシャもかってにわが道を進む。喧騒、猥雑、バクシーシーが車間を縫って窓をたたく。 2日目午後からコックスバザールへプロペラ機で移動、機の窓からは湖というほど大きくない沼ばかりが眼下に広がる。ほとんどが湿地帯だ、その中に人家があり田畑がある。1時間ほどのフライトで目的地へ、世界有数の保養地だがそうだが、海岸線の砂浜がきれいなだけで九十九里浜みたいなものだ。チャイルドがロバを連れてきて「乗って」100タカという、ロバのせなかから、ちょっと高い目線でベンガル湾の彼方の眺望を満喫。後、チッタゴンまでの150Kをチャターしたワゴン車だがセンターラインはなく、たいして広くはない道路を70K−90Kのスピードで走る。 −−−前方に車がいればクラクション鳴らし放し(小型のタクシー)が多く走っている、ドケ、ドケという感じ。ほとんど暴走車だ。追い越しながら衝突の危険が何度かあった。また逆に路線バスが中央線を越えて私達のワゴン車の目の前まで。−−この国の交通ルールはどうなっているのだろう。 暴走車に乗りハラハラしながら夜チッタゴン着。この国第2の都市、やはりゴミゴミした大都市だ、駅前のホテルに泊まる。食事後マッサージに玄田氏は床屋、なかなかサービスは良かった? 近くに労働者用の簡用宿泊所があった、表通りから中が丸見え一人のスペースは畳一枚もない。地方から出てくる出稼ぎ者の宿泊所だそうだが? 丸太のようにゴロンと横になっている。 3日目チッタゴン早朝発、ランガマテイへ今日もワゴン車、途中農道で牛を屠殺して解体して牛肉にしているのを目にした、保健所は? −−恐ろしい、ランガマテイ(少数民族が暮らす街)で特別区らしい、国土全体が沼沢地のようなこの国で この地帯だけが山岳地帯だ。山峡にバナナの林が見えてきた、山岳民族の耕地だそう。 峠を越えて1回目の検問、警官と兵士ものものしい、パスポートとこの地区へのピザをもらってヤットOK。すこし走ると今度は入国税をとられた、そしてもう1度検問があった。街に入る前に軍隊の基地がある、相当大きな規模らしい、後で分かったが地区の少数民族の政府に反する不穏分子が暗躍しているのだそうだ、−−−軍隊の装備が他と違って数段イイ。トラック、ジープみんな新車だった。住民はモンゴロイド系で私達と似ている。中国系、ビルマ系、そしてヒンズー教の信者らしく−−−信心深い人達で仏前に供える花と食事を持って三三五五寺院に集まってくる。フォリース湖、対岸の少数民族の村まで往復2時間、15人くらい乗れる遊覧船だ、警官3人私達(外国人)の護衛についてきてくれる。(何年か前にここで外国人の誘拐事件があった)反政府のゲリラに、−−−おおきな湖で漁船が数隻漁をしている、定置網みたいだ。対岸に上陸したがたいしたものもなかった。ライフル銃を持った警官との湖上の遊覧を楽しんできた。 4日目、昨夜は遅かったのでゆっくり出発、市内観光。おもに旧市街地を探訪。王宮、モスク、刑務所、せまいエリアにありとあらゆるものがゴチャゴチャ。リキシャ、台車、歩道などなく人々は勝手にわが道を行く。日中40度を越す暑さのなか大して汗もかかずに作業して、混濁のなか生活している。この夜同伴していったナハル女史の招待を受ける、ダッカ駅から車で10分くらいか? 入り組んだ路地裏の2DK、4階建てのマンションだった。周辺はやはり同様の住居が沢山あり、舗装もされてない狭い路地に、ガサガサ人でいっぱい−−− どこに行ってもだが。家族の心のこもった歓待と料理(けっこう金かけた)だが、私はダイエット中で食べられない。鶏、羊、牛肉をからあげか、油いため風にしてナン、または白いご飯にまぶして食べる。野菜、果物などけっこう種類があってソースもいける、美味だったがアルコールがないのが辛かった。一族あげての歓迎会に満足した。 5日目、今日で最終日、出掛けに精算する。星3つくらいのホテルでたいして高くはない。目的地はジョムナ橋(ジョムナ河はヒマラヤからインドアッサム地方を通ってバングデシュを縦断しガンジス河と合流してベンガル湾にはいる) 日本がODA援助でかけた橋、この国を縦断する河に今まで1本も橋はなかったという、インドのカルカッタへ続く国道でクルマ、鉄道もフェリーでこえていたのだそうだ、今は約10数キロを簡単に渡れる。これには現地ガイドもえらく感謝していた。この橋を見にゆく。首都ダッカからやく150kくらいか? 例によって日本でいえば中古車でもかなり程度の低いワゴン車、暴走運転、2列目に乗っていてもかなり緊張していた。市外へ出ていくらも走らない道路の両側の河川敷に貧民窟がえんえんと続く。竹の柱に竹で編んだ衝立で周りを囲う屋根はトタンをのせてあるだけ。ガリガリでやせ細った黒い体に目だけはギョロっと光っている、パンツ1枚、ハダシ、2歳〜5歳くらいの子供らがウジャウジャと動物の子のように駆け回っている。大きな河を渡る、湿地帯のなかに工場の煙突が何本も見えた、河川の水量が増えて湿地帯のなかにあったレンガ工場が水没してしまったらしい。途中のゴミ捨て場に黒豚が数頭エサを漁っていた、生ゴミのきつい臭いのそばで数人の子供たちが何も気にせず平気で遊んでいる。写真を撮ってくれといわれて写すと喜んでいた。ガススタンドへ寄る、喉がかわいたのジュースでもと思い、車からおりた、バクシーシー皺だらけの婆さんが手を出している、ほっておいた、しっこく後を追われる。そのうちもう一人同じような年寄りが(男)2人でわけの分からぬこといいながら寄ってくる。興味をもって、小銭をあげてガイドに年きいてくれ、男61歳。女63歳。写真を写す。 マスコミでたまにこの国のニュース等が流れる時がある、また数年前まで何人かのこの国の人達を雇っていた、−− 多少は予備知識を持っていたのだが、現 実にこの目で見た感覚は予想とははるかに違っていた。最貧国と聞いているので程度は分かっていたつもりだが。一般庶民の「生きる、生きていくのだ」というエネルギーが伝わってくる。 なんともすごい国、バングラデシュ。 |
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