我らかわら版
古代東海道歩き その2
半蔵門で




水上駅から


原子力発電所を望む


原子力災害時の避難施設




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No.31 - 2014.12.15


越後・柏崎へ


 11月22日から新潟県の柏崎へ出かけました。昔の友人たちに会いに行くためです。何十年ぶりでしょう。よく新潟へ行っていたころは上越新幹線が無く、上野から急行や夜行でした。上越新幹線ができてから仕事がらみや佐渡観光で新幹線に乗ってますが、あれよあれよという間に新潟に着くと、なんだか違う街に来たような気分になったものです。それで、今回は旧友に会いに行くのだから、新幹線に乗らないで、タイムスリップした旅にしようと思ったのです。

 新幹線が出来てからでしょうか、新潟まで直通の列車はありませんし、特急とか急行とかもありません、途中で各駅停車の乗り継ぎです。駅弁を抱えて上野駅の地上ホームから10時30分発高崎行きの電車に乗り込みました。どうせ空いているだろうと4人用のボックス席に一人陣取って、さあのんびり楽しもうかと思うまもなく、たくさん乗ってきて4人席は満杯。日曜日だというのにけっこう乗る人はいるんですね。

 各駅停車とはいえ併走する京浜東北線の電車を追い越していくので速いんですが、大宮駅からはほんとに各駅に停車。昔は急行でしたから各駅停車ははじめての経験です。駅に停まってもいちいちドアは開きません。乗り降りする人はドアの横のボタンを押してドアを開けます。熊谷駅でようやくボックス席を独り占め、駅弁を広げました。

 赤城山が見えてきて、高崎駅に到着。15両編成の電車は篭原駅で5両切離して10両になっていました。乗換え時間が余り無いのでいそいで水上行きの3両編成の電車に乗換えました。すでにほぼ満席、ようやくドア横のベンチ席に座れました。渋川駅あたりでボックス席に移動、独り占め。車窓から利根川渓谷の紅葉と雪を冠したばかりの谷川連峰を見とれていました。

 水上駅で長岡行きに乗換えです。やや時間があったので改札を出て、弁当と飲み物を買おうかと思ったのですが、温泉地の駅とはいえあまり賑やかそうではなかったのでやめました。2両編成の長岡行きの電車に乗り込むと、満席ではありませんでしたが、4人ボックス席に2人、斜め向かいあわせです。

 駅を出るとすぐに清水トンネル。トンネルの中に駅が2つもある長いトンネルです。国境のトンネルを抜けると雪国ではありませんでした。雨です、やがて雪になるのでしょうねぇ。まだ誰もいないスキー場の間を通り抜け、遠くに八海山・中岳・駒ケ岳の越後三山を眺めていると、かつて何回も登山したことを思い出していました。そしてあの山の向こうは先月ラーメンを食べにいった福島県の会津なんですねぇ。

 信濃川の流れが目に入ってくるとやがて長岡駅。新幹線のホームもあり大きくなっていましたが、軽便の越後電鉄は跡形もなくなっていました。バス待ちの間に長岡駅の周辺を歩いてみましたが、記憶となかなか一致しません。ビルなんかはすっかり建て替わっているのでしょうが、神社・仏閣と河川は同じはずとはいえ、その神社・仏閣・河川の記憶が…

 柏崎行きのバスは運転手横の一番前の席を確保。前方の視界が開け、路線バスでも旅気分です。国道8号線は広くしっかりした道路になり、それどころか高速道路も並走しています。バスは国道を外れて普通の道路で山を越えて日本海側へいくのですが、山越えのトンネルがとんでもなく立派なこと。バスは国道にもどり、まもなく柏崎です。

 陽がすっかり落ちた街角のバス停に降り立ち、むかえにきた旧友と再開しました。上野駅を出てから7時間、すっかりタイムスリップしていました。

 翌日、散策した柏崎の街は、道路が広くなったり、ビルが増えたりしてましたが、昔と変わらず静寂な街で、ほとんどタイムスリップしたまま… 柏崎・刈羽原子力発電所のおかげでうんと潤っているのかと思ったのですが… 丈夫そうな公共施設の看板「原子力災害時 退避施設」が、いっそうの静寂をさそっていました。悪い夢を見ているようでした。夕刻には、昔の仲間たちが集まって小宴会、タイムスリップも本番でした。

 翌々日、新幹線で東京に戻りました。朝8時過ぎに柏崎駅から各駅停車の長岡行きに乗車。途中まで通学の高校生でガヤガヤしてましたが、4人席ボックスを独り占めして車窓を眺めていました。いくつもの無人駅にも停まりながら長岡駅に到着、弁当を買ってすぐに新幹線の自由席の列に並びました。新幹線ホームは寒々しく殺風景なのが気になりました。新幹線の車中で携帯に会社からのメールを着信。客先へ携帯で連絡。会社に戻ったらさっそく取り掛からねば… ここでタイムスリップは解けました。上野駅の地下ホームから出てきたのは柏崎駅からわずか3時間後でした。





古代東海道歩き その2
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