我らかわら版
古代東海道
越後・柏崎へ




No.30 - 2014.08.05


古代東海道歩き その2


 はるか奈良の都から常陸の国につながる古代の東海道。墨田区は隅田川の梅若塚あたりから葛飾区と江戸川区を抜け、市川の国府台へまっすぐ延びています。以前に四ツ木から梅若塚まで歩きました。今回は国府台から葛飾区の立石までです。

 天気のいい秋の午後、京成の青砥駅で待ち合わせ、国府台の駅に降り立ちました。目指すは下総の国府跡。手児奈霊堂だとか、真間山だとか見てまわるとこはたくさんあるので、改めて国府台散策を企てることにしました。

 さっさと国府跡はあきらめ、電車で江戸川の駅にもどり、川沿いの道を北上して、古代東海道が江戸川にぶつかる地点に出ました。「遺跡通り」と江戸川区の看板を見つけ、そこから西にむかって歩き始めました。真直ぐな道です。「向こうから在原業平が歩いてきそうだね」などと話していると、奈良・平安時代を実感している気分になりました。

 京成小岩駅の踏切を横断し、中川放水路の橋を超えて、環七との交差点を抜け、中川に架かる橋まで、ずっと真直ぐでした。橋を渡って中川の土手に沿って歩きます。途中の児童公園に立石様がありました。もちろん川沿いの古代東海道は真直ぐではありません。中川に邪魔されずに真直ぐならここに出るだろうという地点が奥戸橋のたもと。ここからまた真直ぐ梅若塚にむかっています。

 再び真直ぐに歩いていて京成立石の駅通りの交差点にさしかかった頃、ちょうどよい秋の夕暮れ。古代東海道を離れ、駅横のアーケード街にある飲み屋さんで一杯やりました。成田の実験村のお百姓の酒米で作った純米酒に肴はおでん。今回は立石で古代東海道歩きはお仕舞いです。

 以前買った本を読み返していたら、古代東海道は、梅若塚で隅田川を渡り、土手沿いに南下していたとありました。となると浅草の待乳山聖天や観音様の脇を抜けていたのか… どちらも起源は600年あたりだから古代。浅草は江戸時代よりずっとずっと前から賑やかだったんですね。というわけで次回は、浅草から立石まで、あるいはその逆を歩くことにします。お仕舞いの一杯を楽しみに加えて。



国府台 てこな堂


江戸川(国府台側から)


立石様




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