モダン・タイムス



 自動車や家電などの商品の製造は、設計をしてまず試作を作ります。そして試験をして、その結果をみて設計を手直しして試作してまた試験。これを繰り返して「これで行く」となると、完成品。つぎはこれの量産に入ります。工場の製造ラインですね。ベルトコンベアーの流れ作業の工場からは次々と商品が出てきます。いうなれば、工場は大きなコピー装置なんですねぇ。コピーされた商品は国内ばかりか、世界中のお客に届けられます。

 私どものソフトウェア業界ではどうでしょう。設計・試作・試験はコンピュータだけですみます。完成品といってもかたちはありません。符号のかたまりですので、コンピュータの中にファイルとして存在するだけです。ファイルのコピーはコンピュータにはお手のものです。とはいえ、量産となると事情が違います。

 かつてはファイルをコピーしたフロッピー・ディスクをお客に届けていました。フロッピー1枚あたりのコピーに分単位の時間を要します。フロッピー装置が1台しかついていないパソコンでは、捗がいきません。量産するために同時に何十枚ものフロッピーにコピーする機械をコンピュータの展示会で見かけました。これを設置するとちょっとした町工場になりますね。

 そのうち、フロッピーはコンパクト・ディスク(CD−ROM)にとって替わります。完成品のファイルをコピーした原版を作って型をとり、それをCD−ROMにプレスして量産しました。かつてのレコード屋さんの音楽レコードと同じ原理です。大きな完成品だといくつものファイルを何枚ものフロッピーに分けてコピーしてワンセットになっていましたが、CD−ROMなら1枚ですみ、効率はいいのです。が、それなりのプレス工場が必要です。DVDも同様です。

 今は完成品の量産はどこもやっていません。パソコンはインターネットにつなげます。完成品をインターネット上にコピーしておいて、それをお客が購入手続をしてから自分のパソコンにコピーするのです。ダウンロードってやつです。音楽や映像ソフトの配信と言っているのと同じです。

 というなりゆきで、私どものソフトウェア業界は大きな工場などのコピー装置は全然ありません。工場など資産や地域の雇用や各地への輸送などなどはありません。大量生産・大量消費・大量廃棄という今の資本主義に背いたビジネス・モデルになっています。コピー操作さえお客にやらせる横着な業界なんです。

 そうそう、かつてのファミコン。ゲームソフトは専用カセットに入って売られていました。遊ばなくなったゲームのカセットを持っておもちゃ屋さんに行って、新しいゲームを持っていったカセットにコピーしてもらいました。おもちゃ屋さんがインターネットに代わって、ますます横着になっています。

 当社は配信などはやっていません。なんとなれば量産品を作っていないからです。お客様から注文を請けて製造する一品モノ。完成品のファイルは、CD−ROMに焼いて、直接お客様にお届けします。お客様のパソコンにセットアップもします。

 地元の先達のニット(毛織物:セーターなど)を製造している方のお話をお聞ききしたとき、ニットは着る人にあわせて編めるのだ、と聞きました。大なり小なり身体障碍があろうが、ニットはあわせられるとのこと。そういえばこの方パリだのミラノだののコレクションからの注文もこなしていました。コレクションからの注文のない当社も同様、お客様にあわせて、時には使う人にあわせたソフトウェアを作ります。これを他のお客さまで使っていただいても、そこでは役に立ちません。なぜなら、例えば同じ「請求」のソフトウェアでも、お客さまごとにその業務が違うからです。

 なんだかすごそうなソフトウェアですが、ハードウェアがないと動かないのです。ハードウェアとは、パソコン、プリンタ、モデムやWifi機器、そしてスマホにタブレット、さらにこれらの部品であるICチップなどなど。いずれも大きなコピー装置で大量生産しています。ソフトウェアは大きなコピー装置に支えられているのでした。




量産工場
 ロボットの導入やら、ラインの電子制御などなどいわゆるFAがすすんでいますが、今でもチャップリンの映画「モダンタイムス」の状況と変わっていないと思います。賃金をはじめコストをとことん抑え、安上がりにする構造。資本主義の性ですかね。
 お隣の中国では量産のところだけ請け負って、米国の商品を大量に製造しています。それゆえ、米国のベルトコンベアーは錆びてしまってます(ラスト・ベルト)。
 ヨーロッパでは、ライン生産とは別に手作業での製造(クラフト生産)を残していると聞いたことがります。一品モノの製造はこれですね。


↑頁先頭へ