作者紹介


 1943年5月東京谷中に生まれる。父信秀は彫刻家・画家、母菊枝は銀座の商店主の娘、歌が得意だった。
写真(かもめ)
 屋敷の敷地の中に家があり敷地の中で従兄弟や近所の子供達と遊んだ。不忍池によく遊びに行った。小学校に入る前にバケツ一杯のザリガニを取って帰ったら、父に取り上げられ天麩羅になり私も食べた。美味しかった。配給された玉蜀黍パンはこんなに不味いものがあるのかと思いながらも他に食べるものも無く、仕方なく食べた。

 1950年不忍池の近くの忍ケ岡小学校に通う。その頃は上の花園町に引っ越していた。池之端には被戦災者の住むテント村があり、そこから通ってくる年上の同級生もいた。初めの頃はそいつにいじめられ怯えていた。

 しばらくして友達になりテント村の住民のための給食場に付いてゆき見学した。京成や地下鉄の地下道にはたくさんのホームレスの人々が横になったり座ったりしていた。

 上級生になる頃には遊び場の不忍池半分を奪われ、そこは水上動物園になってしまった。冬には不忍池の蓮池に氷が張って年上の人たちがスケートを楽しんでいた。
つづく

*最近あったこと

 お彼岸の墓参りの後、不忍池に寄ってきた。鴎が餌と休息を求めて来ていた。
 桜の花は満開前7.8分咲きのちょうど見ごろ写真を撮った。戦後まもなくのときに比べればホームレスの人達は肩身が狭そうだ。


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