地球的課題の実験村

<連続講座>

入り会い再考・再生
=脱グローバリゼーション試論=

報告
第1回 「入り会いの思想を掘り起こす」
 第1回は北海道在住の哲学者で市民運動家である花崎皋平さんに報告をお願いした。講座開始にあたり、そもそも入り会いとは何かを根源的にとらえたいと考えたからだ。花崎さんは日本の民衆史に大きな転換を促した歴史学者網野義彦の説に依りながら「無縁」の原理がもつ意味を探った。「無縁」の原理を軸に人類史・世界史をみていくと、従来の「奴隷制−農奴制−資本制」という発展段階論とは異なる世界があらわれる。「無縁」「無主」が「有縁」「有主」(私的所有)に取り込まれ、やがて国家の形成に進む。しかし「無縁」の原理は国家との闘争を通し、平和・自由・平等の思想を生み出す。「無縁」とは「無所有」であり、入り会いの根源をたどると「自然は誰のものでもない」という思想にたどりつく。

 この「無縁」の思想を自覚化することで、「有主」「有縁」の原理を克服するという課題が私たちの前にある。花崎さんは、アイヌ民族や沖縄の入り会いを例にとりながら話を進め、現実の入り会いがもつ一つの問題点として、男性家父長制と一体化していることを指摘した。そうした問題を含みながらも、入り会いのもつ根源的な意味「無主、無縁、無所有」を自覚的に担う主体を「ピープルネス」「サブシステンス」「スピリチュアリティ」の三位一体のものとしてとらえ、文明の転換を主張したい、と花崎さんは報告を結んだ。
第2回 入会は国家を超えられるか
 第2回の講座は、講師に民族問題・南北問題の研究者であり市民運動家である太田昌国さんに、国家との関連で入り会いについて語ってもらった。太田さんは、いま大切なのは国家を相対化する、あるいは対象化する視点をどうつくりあげるかということである。では何を媒介としてこのことに迫るか。二つ上げる。

 一つは、植民地支配とそこからつくりだされた先住民族という概念であり存在である。1492年、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した。世界が一つになり、植民地支配と南北問題の出発点となった年である。この植民地支配がヨーロッパ近代を作り、遅れてきた日本の近代化を進めた。植民地支配は近代国家成立の基盤だったのである。植民地化のプロセスのなかで先住民族という概念が誕生した。そこに住んでいた人々の土地や資源は植民者に奪われ、人々は殺され、追い払われた。

 もう一つの視点は、ジェンダーの視点である。これはコロンブス500年どころではなく、人類史を貫徹する問題であるとして、太田さんは若桑みどりさんの『戦争とジェンダー』に拠りながら国家の本質としての戦争を語った。

 先住民とジェンダー、この二つの視点をたどっていくと、その先に立ち現れるのは人間存在の根源的なあり方である「無縁」「無主」、そして入り会いがもつ「無所有」という概念ではないか。太田さんは第1回の講座で花崎さんが提出した思想を踏まえながら、この先の社会のあり方、人間の関係性のあり方としての入り会いをこう語った。
第3回 巨大開発の時代を超えて
=成田東峰神社林裁判から見えてきたもの= 樋ケ守男(三里塚・東峰住民)

 戦後開拓の中で東峰の住民が建立し祀ってきた東峰神社の林が、暫定滑走路飛行の邪魔になるということで、ある日空港公団によって伐採された。土地所有権はいつのまにか公団に移った形になっていた。東峰住民は2002年4月、神社は東峰住民の総有物であるとして提訴、2003年形は和解だが、全面勝訴した。

 この裁判を通し、さまざまなことがみえてきた。(1) 入り会いがもつ総有という所有概念は全員民主主義(納得性民主主義)である、(2) それは同時に「個」(私とあなた)を欠いては成り立たない、一人一人に拒否権がある自立の民主主義である、(3) それは個が公を一身に引き受けることであり、その公性は人が自らも自然の一員であるということを自覚することから生れる、(4) そこから「私を律する」という思想(価値観)と行動様式が生れる―などだ。

 以上の事柄は三里塚闘争の中で、「いま自分たちが守ろうとしている土地(土)とは何か」を問い詰めることによって百姓が獲得した思想でもある。
第4回 グローバル資本主義と入り会い
講師:小倉利丸(ピープルズ・プラン研究所共同代表・富山大学教員)

 小倉さんは資本主義のグローバル化をどのように理解するか、をまず問いかけ、貧困(経済)、戦争と暴力(権力)、環境破壊(自然)の三つがいま世界の課題になっていることを指摘した。次いで小倉さんはこれらの解題解決に向け、代替的な提起としての社会民主市議や人間の社会保障論、工業活動の規制といったもののほか、資本主義そのものを根底的に批判・否定する論ぎがおこっていることを述べたうえで、歴史観、労働観、市場、技術についての根源的な提起を行なった。
 その提起は旧石器時代から始まる広大な時間軸を持つものであった。現代資本主義を根底から批判するには「進歩や変化は必要なのか」「文明の進歩とは何なのか」を問うことが必要になる。そのためにはこれだけの時間軸で人類史をさかのぼることが必要なのであろう。
 文明社会に入り、時代が進むにつれ、自然の飼いならし、分業と世界観の断片化、宗教と儀礼、権威と権力の発生へと進む。そして市場社会。「市場社会だけが欲望依存型の社会をつくる」。市場と欲望の関係で見れば、経済には「市場の交換」「互酬(プレゼント)」「再分配」の三つのパターンがあり、いま私たちには、この市場経済をどこまで否定できるのか、否定すべきかが問いかけられている。これが小倉さんの結論だった。
第5回 “地域自立”は可能か
−地域通貨の思想と仕組みから読み解く−

講師 泉留維(専修大学教員)
 泉さんはまずいまの日本の普通の人々やその人々が住む地域、働く職場の現実をいくつかの指標を挙げて解読した。ではそうした現実に地域通貨という道具は何を対置できるのか。地域通貨は、日本で230以上の地区で使われ、世界全体では二千以上も存在していて、特定の域で、住民同士、NPO、商店会、地方政府などが発行する交換手段となっていることが紹介された。
 次に泉さんは、地域通貨の性格、定義を行いながら、現在は1930年代に世界大恐慌からの脱却をねらい欧米の地方政府、諸地域の商工会議所などを中心に地域通貨が発行されたのに続く第二のブームに当たるとして、世界各地に行われている事例をもとに、その性格や特徴を明らかにした。続いて日本の事例を佐賀県伊万里市の「ハッチー」や埼玉県小川町の「ふうど」などを中心に紹介、「地域通貨は、地域循環型社会の構築をめざし、コミュニティ内のネットワーク作りに寄与している地域循環型社会作りの基盤作りとして非常に重要な機能を果たしている」と評価した。同時に、地域通過の蓄積はまだ少なく、その有効性については、まだ可能性の域を出ていないとこれからの課題を提起した。
第6回 総括討論 問題提起
大野和興/つるたまさひで

 最終回。まず大野がグローバリゼーション下の日本の状況について概括的に報告。つるたさんがこれまでの5回の講座を踏まえながら、(1)入り会い・コモンズを新自由主義グローバリゼーションの対抗軸として設定できるのか。だとすればそれにはどのような条件が必要なのか、(2)都市でのコモンズをどう形成できるのか、(3)農村に最近まで存在していたそれはそのままで対抗軸になりえるのか― の三つの課題を設定、報告した。
 つるたさんは、それぞれの論点についてきわめて鋭い提起を行なった。例えば入り会いにおける「禁止則」の意味、女性・少数者・障害者と入り会いの関係、入り会いとサブシステンスといわれるものを重層的に捉えることの大切さ、といったことだ。この二つの提起を受け、参加者全員で討論、この講座をなんらかの形で引き継ぐことの大切さが出された。


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