墨田区異業種グループ「H1だより」        2014年10月9日発行
 既刊




第93号


H1すみだ

ソースの話

中山会員・清水会員・山下会員
国府田会員・内海会員

●束の間のドイツでの夏休み

鈴木会員


      

『H1だより』記事・広告募集のお願い
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1ページ ¥2,000
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定例会の予定

2014年
 10月 9日(木) 定例会 中小企業センター
           大橋会員のお話
 11月13日(木) 定例会 中小企業センター
           古代東海道 中村会員・山下会員
 11月29日(土) ものづくりフェア 中小企業センター
    30日(日) ものづくりフェア 中小企業センター
 12月11日(土) 忘年会 向島
2015年
  1月10日(土) 新年会 上野
           定例会の予定






●2014年度『H1すみだ』活動報告


 8月度定例会兼用暑気払い


 8月2日(土)

  柴又「川甚」 14名

 司会進行 鈴木副代表 


 乾杯の音頭 半澤会員

 <宴会>

 美酒を傾け、川料理に舌ツツミ

 近況など全員発言

 内海会員の音頭にて手締め 閉会




 9月度定例会


 9月11日(木) 中小企業センター

  参加者 13名

司会進行 手塚副代表 

   川田代表の挨拶



 1. お話の会

   ステップアップ「臼井女史」

   生い立ち・アベニュー発行秘話・

   墨田区諸問題・いろいろ

 2.お知らせ

  1)ものつくりフエア

  2)異グ連主催「ヨガ講習会」

  3)忘年会・新年会について

 3.各分科会より

   研修・パソコン・ゴルフ・落花生・街歩き・各担当者より

 4.全員発言







<分科会>

研修分科会

8月度研修会


8月27日(水) 丸勝建設 5名


 1)大橋会員のお話

   「ドラッカーで見つめ直す経営」について

 2)「本」研修

   「リーダーシップとは言葉の力である」

   第4回全員にて輪読、勉強意見を出し合う

 3)見学会、旅行、など行いたい。 


9月度研修会


9月24日(水) 丸勝建設 5名


 1)大橋会員のお話

  「ドラッカーで見つめ直す経営」について

  第3回全員で輪読 大橋会員の解説

  全員にて意見交換

 2)次回研修「本」について話し合う





 

小旅行分科会


10月4・5日(土・日) 安芸の宮島などへ一泊旅行 6名




ゴルフ分科会


10月12日(日)




たけのこ山分科会


山掃除をやろう




街歩き分科会


10月12(日) 古代東海道




落花生分科会


 暮に販売予定 準備




ものづくり分科会


11月29・30日(土・日)




パソコン分科会


なし






<その他>

 異グ連交流グループ連絡会議


●異業種グループ連絡会議

●フォーラム・フェア委員会

  H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加





<幹事会>

  第5回 9月1日 丸勝建設 10名


川田代表進行

 1.9月度定例会の議題について

   ステップアップ「臼井女史」によるお話

 2.10・11月度定例会の議題について

   忘年会・新年会の日時、場所について討議

 3.各分科会より

  a)研修分科会「忘年会」

  b)野田山分科会、山掃除

  c)落花生分科会より、今年も販売

 4.旅行について 10月4日、5日

   「安芸の宮島一泊旅行」へ6名参加

 5.ものづくりフェア 11月29・30日

 6.合同交流会について

 7.その他「街歩き散策」について


  第6回 10月6日 丸勝建設 8名


川田代表進行
 1.10月度定例会の議題について

 2.11月度定例会の議題について

 3.ものつくりフェア

   「ジグソーパズル作り」をやる

 4.小旅行分科会より

   10月の旅行、6名参加

 5.忘年会・新年会について

 6.ヨガ講習会

   10月22日 中小企業センター








ソースの話




 9月の定例会のお弁当に付いていたトキハソースの話しが、思いの外盛り上がってしまいました。

 きっかけは、トキハの特選ソースだと、コンビニで売っているキャベツの千切りが立派なおかずに変身してしまうほどの感動を覚えたので、値段は、普通のソースの何倍もしますが、機会があれば自宅にあるソースと食べ比べしてみてくださいというものでした。

 ソースといえば、揚げ物、焼きそば、もんじゃといったところが代表例ではないでしょうか。私の場合、その他に、マカロニ(ポテト)サラダ、シウマイ、鳥の唐揚げ、焼いたはんぺんにソースをつけて食べるのも好きです。シウマイや唐揚げにはウスターソース、マカロニ(ポテト)サラダ、はんぺんには中濃系のソースが合うと勝手に考えています。

 近頃のお総菜は味がしっかりしているので、ソースが無くても食べられるものばかりですが、胸肉系の唐揚げには、どうしてもソースに手が伸びてしまいます。

 脱線しますが、焼いたはんぺんに、蜂蜜をつけて食べるのも、意外とおいしいです。はんぺんの味が引き立ちます。家族には共感者がいません・・・。共感者募集中です。

 ソースは「ノンオイルドレッシングなのだ」「お酢も使用されているので、塩分以外は健康的なドレッシングなのだ」「野菜や果物のうま味・エキスが凝縮されたダイエットに最適なドレッシングなのだ」と自分に言い聞かせて、たっぷりかけて食べています。健康診断では血圧高めと注意されますが・・・。ところで、皆さんは、ソースをかけるとき、よく振ってからかけていますか? よく振ってからかけていない人は、一度試してください。香りや味がグンとアップします。

 振ってからかけることでソースの味や香りを見直すきっかけになるかもしれません。

 最後に、ソースでご飯を炊いてカレーパウダーを振りかけると、手軽にカレーの炊き込みご飯ができます。

※おいしさの基準には、個人差がありますので、試す際は自己責任で。

中山社会保険労務士事務所 中山 歳一


 ソースの話ですが、横浜馬車道勝烈庵のソースがフルーティーでおいしかったくらいです。

 孫と食事に行って面白かったことで記憶にあり。
H1すみだ・清水


「向島にソースの工場あったよな、3丁目に」。先日、中学校の同級生に会った時に確かめました。

「あった、あった。ウチの裏手のほう、水戸街道から1本入ったところ」「そうだよな、いつも好い匂いしてたよなぁ…」

 この工場のソースを食した記憶はありません。匂いの記憶はしっかりあります。が、どうだと説明できません。四ツ木の商店街に醤油と味噌のお店があります。ここの『生ソース』はちょいとお値段ははりますが、とっても懐かしい匂いがするのです。同じ匂いかと問われると、はたして… う〜ん、匂いの記憶はとってもあいまい…。

山下茂(四ツ木のお店:坂本商店)


 今号は前回の定例会の中山氏のソースにかかわる話に会員の「反応が良かった」のでと山下氏の要請があり、一応先生の言うことを聞かなくてはといろいろ調べました。が、その時あまり熱心に中山氏の話聞いてなかったので本当は非常に困りましたが。多少パソコンで調べてみました。

 起源、ヨーロッパの狩猟民族は、狩りの獲物の肉を塩付けし香りの高い葉で包んで保存していました。ところがその葉から肉に芳香がつき多少の匂いがあってもスパイスの香りで美味しく食べられることが分かりました。ここから肉、塩、スパイスが結び付きソースができたのです。

 ウスターソース−−野菜や果実などのジュース、ピューレなどに食塩、酢、香辛料を、加えて調整、熟成された液体。−−それに中国でカキの旨味成分をプラスしたのがオイスターソース。やはり熟成させて作るものだからメーカーは酒造会社が多い。日本での発祥の地は神戸、阪神ソースというのがある、今でも値段のこだわらず美味なソースを作っているそうだ。

 また広島には「カープ」ソースと名称のもあるそう。

 広島といえば「広島焼」が有名だがオタフクソースとイカリソースを使う、イカリソースは関西では有名だが、「実は何年か前に関東で有名なブルドックソースに吸収合併されている」関東ではソースといえばブルドックだが関西には今でも数十社の工場がある。食い倒れで有名な関西だから食通も多いのだろう。

 関東−−大体、甘口、中農ソースが主流

 関西−−辛口ウスター、カレーにもソースをかける

 子供の頃にカレーライスにはソースをかけるものと思っていた。カレー粉が甘口だったのだろう、最近自宅では中辛を使っているのか? かけない。

 ぺヤング焼きそばというのがあるがこの会社は自社でソースを作っているそうだ。関西には売ってない。また大阪の通天閣では串カツが有名で一度食べたことあるがソースの2度づけは禁止。

 その串カツ安価だが油が良くなくて、あまり美味ではなかった。

 中山氏の話ではトキハソースがお勧めと言う。

 それぞれ好みがあると思うが、たまに自分で焼き
 
 ソバ作るがやはりソースの味が絶品だ。
内海恒人


「そ・〜・す・カ・ツ・丼」。

 ☆あれは、私がまだ高校1年生だった頃のお話です(だいぶ前だな。約35年前ですな)。クラブ活動の帰り道。同級生(友人)と自転車での帰宅中の出来事です。「腹へったなぁ」っと友人との会話。「どっか、寄って飯でも喰うかぁ」。そうなんです、育ち盛りの若人はお腹が減って、お腹が減って、どうしようもない時が多々あるんです。そして、目に留まったのが西新小岩に位置するとある食堂。いつもの通学コースではあったのですが、入店するのは初めてだったんですな。そんなに若人はお金を持ち合わせておりませんから初めてだったんです。サイフの中身を勘定して「カツ丼が注文できるな」。心の中で呟き、オーダーしました。もちろん、出て来るまでには20分位掛かります。その間は「重厚なトンカツに玉子がトロッと乗っかり…」なんて妄想してしまう位に楽しみにして待ちわびておりました。「お待ちどう」お店の方がドンブリを運んできて下さいました。そして、器のフタを開けてビックリ仰天玉手箱。全く予想もしていなかった中身に眼をみはる…。「玉子が無い!」「タマネギの入ってない!」「それどころか。何やら真っ黒…」間違いなのか? 何なのか?? 若人の身分としてはお店に文句も言えず…。しかも、お腹が減っているので、もう食べるしかない。そんな状況… っで、口に入れてみますと、なんと。あの黒い色の正体は「ソース」。

 厳密に申し上げますとサラサラの「ウスターソース」でした。そう。ゴハンの上にソースを潜らせたトンカツが、整然と並ぶドンブリ物だったのです。

 ※うちの両親は北関東の出で御座いますので、「ソース」と言えば「中農ソース」なんですな。たまに「トンカツ屋さん」で食事をしますとドロッと濃厚なトンカツソースの経験はありましたが、サラサラのソースはお目に掛かるチャンスが少なかったんです。まぁ、日本の西側では逆にサラサラが主なようでして、全国でみればサラサラが主流な様子なんですがね…。ちょっと脱線しました。

 すみません。軌道修正です。そして。「真っ黒いカツ丼」を食しながら思った「美味いな。けっこうイケてるぜ」。しかし所詮は若人の身。そんなに足を運べる訳がありません。そんな。美味しかった記憶も、時と共に遥か彼方へ消え去ってしまったのです。若人とは色々と楽しい事が盛り沢山で御座いまして「カツ丼」の事など。2の次… 3の次…。 ☆それから大分時が過ぎましたサラリーマンだった頃のお話です。会社より出張で新潟市へ出掛けた時のこと(そうでねぇ。25年位前の話ですかね…?)。「どこかで昼食を…」なんて万代橋付近をウロウロしていた所、眼の留まったのがとある食堂。そう、あの時と似たシュチュエーションでした。「カツ丼を下さい」そう注文して出て来たのがあの時と同じ「真っ黒けっけ」。当時の光景が鮮明に思い出されたんですな。それからというもの、そのような「カツ丼」は静岡市で1回(これも出張先)。

 ※ちなみに。ちょい先の浜松市では、名古屋名物の「味噌カツ」に出会っております(あぁ、また脱線しました)。現在では東京都内でも「ソースかつ丼」と注文すれば、同じものが食する事が出来るようになりましたが、当時「かつ丼」と言って出て来ましたのが「ソース味」っと言うのが衝撃的だった記憶が残っております。少しググって(google検索)みましたらば、国内の数箇所では「カツ丼」といえば「ソースかつ丼」らしいです。場所で言えば福井県内の何処かではそうらしいんですな。よって。新潟は万代橋の近くで頂いたお店の方は、もしかしたら? 福井県の出身の方だったのかも?? 知れませんな??? しかし、静岡市の場合はどうなんでしょうか? 謎です…??

 ☆まぁ、地域性により庶民に愛されるソースの微妙な種類も違えば、大阪の「たぬき・きつね」の他、カレーライスには必ず「生玉子」が乗っておりますし、お正月の「お雑煮」に関しましては各地で様々なようです(漉し餡が入った雑煮の在るそうです)。食べ物に対する文化(クジラも含め)って奥が深いですねぇ。同じの本国内でも知らない事が多すぎますな。 ※まるで「県民SHOW@TV番組」のような記事に相成ってしまいましたが、これにて「ソース」に纏わるお話とさせていただきます。最後までお読み下さいまして有難うございます。

 平成26年9月28日 H1すみだ・PAGの国府田でした…。








束の間のドイツでの夏休み

平成26年8月12日(火)〜19日(火)


(株)墨田電材社 鈴木良昇 


 今年の夏は8年ぶりに義息の実家(ドイツ・デュセルドルフから電車で1時間ほど)のボッフムに6泊8日で行ってきました。旅行の目的は1昨年他界した義息のお母様のお墓参りと、ライン下りの旅、孫達との再会でした。さてどんな旅だったのでしょうか? 気ままに羅列いたします。

8月12日(火):この春から直行便で就航したANA午前11時のフライトで定刻離陸(前回はアムステルダム経由で時間がかかりホテルに着くまで大変だった)鈴木写真1。直行便だと不慣れな熟年夫婦の旅には助かります。早めのチェックイン後、いつもの様に搭乗口近くで軽く日本製ビールを飲み機内に、これから12時間のフライト。隣の女性に長い狭いひと時ですが、宜しくと挨拶、ビール&ワインで食事、ビデオ・音楽を楽しみ、軽い睡眠後デュセルドルフ空港に現地時間8月12日(火)午後4時頃到着(時差は7時間)。
簡単な税関(米国は厳しい!)挨拶はハローの一言、スーツケースをピックアップし、出口に向かい、迎えに来た長女(米国在住)の姿が目につき思わす抱きしめ、孫が見当たらずと思いきや、おもちゃのカメラ片手に喜んでこちらに来て、高々と抱きしめ再会を喜びあいました。

8月13日(水)鈴木写真2昨日から宿泊した駅前のホテルでの窓から見る木々で心地よい? 目覚めであった。朝食は下にパン屋さんがあり、そこでコーヒーを飲みながら過ごしました。最初はドイツ語のみでしたが、英語も話せる店員がいて多少助かりました? 昼食は日本から持って行ったお米でライスカレーを義息の家で妻が作りました。果たしてお米が美味く炊けたか? 鈴木写真3美味く炊けました。ドイツでカレーが味わえて良かったです。お母様のお墓は坂を上って行かなければならないのでバスで2駅、トラム(路面電車)で1駅乗り着きました。こんもりとした森の中にある整然とした墓地で、現地では25年間期間限定でお墓が使えて、あとは土に戻すそうです。日本との管理の違いを感じました。帰りはボッフン銀座? でコーヒータイム、下り坂の街中を散策、おしゃべりをしながら戻りました。それにしても9時過ぎまで明るいので時間のずれを感じました。

8月14日(木)〜16日(土)
鈴木写真4 いよいよ本日から2 日間ライン下りを楽しむために4 時間ほどの電車移動による小旅行が始まります。パン屋で朝食分をお持ち帰り( テイクアウトは通じませんでしたが) 何とか持ち帰りが出来、1 0 時4 5 分ボッフンを出発しました。先ずは途中通過駅ケルン(大聖堂を車窓から見ながら)、次の停車駅は1949年から1990年までドイツ連邦の首都ボン駅に着きました。流石に大きい正に映画で見る欧州のターミナル駅でした。今までと違って様々な人、リックを背負い自転車で移動する人達でホームは混雑していた。鈴木写真5電車の中に自転車置き場があるのには驚きました。ボン駅から電車は一路ライン川沿いの古城、街並みを車窓から楽しみ、今夜の宿リューデスハイムに着きました。ここは有名な観光地で(日本人観光客にも会いました)ワイン村特に有名なドロッセガッセ、つぐみ横丁ニーダーワルト記念碑へのロープウェイなど楽しむことが出来る所です。早速ロープウェイに乗りました。鈴木写真6久しぶりのスキー場にあるリフトみたいな乗り物、10分ほどで山頂に着き、記念碑に向かいました。この記念碑は1883年に1870〜1871年戦争を記念して建立された。高さ37.6メートル(土台25.8メートル。ゲルマニア像11.8メートル)ライン川よりも225メートル高いニーダーワルトの丘陵の上にある。丘から見る雄大なラインの流れ、中世そのままの街並み、思わずこれが歌に歌われたライン川なのだと感動いたしました。宿に着く前に夕飯を食べに街中へ、さて美味しいビールとソーゼイジ(注文したソーセージ、今まで味わったことのない鶏のレバーみたいなもので食べられず、かみさんとの取り替えました)お驚きました。栄養満点だそうですが… 教会のベル、ワイン横丁から流れる音楽、まるで中世に戻った感があったライン川1泊目の日でした。

8月15日(金)いよいよライン下りが始まります。天気は雨が降ったり、曇ったり、太陽が見えたりでしたが、さてどんな船旅か? 鈴木写真7大きな観光船で船内のアナウンスはドイツ語、英語、日本語、中国語などいかに各国からの観光客が多いのか。早速ドイツビールを味わいながらライン下りを楽しみました。デッキからの眺め、船内からの眺め、小雨の中ではあったが40分ほどでライン川沿いの今夜の宿泊地バッハラハに着きました。パンフレットによると、ここバッハラハは1,000年以上の歴史を誇る非常に魅力的な立地の小都市、市壁の16ヵ所に物見の塔がある。木骨建築、ワイン醸造の専門学校。町の上にはゴシック「聖ヴェルナー礼拝堂」山の頂上にはシュタールエック城(現在ユースホステル)が見える。下船して先ず山の上の古城へ向かいました。その古城は現在YH(ユースホテル)と多くの旅人に愛されているとのこと。鈴木写真8私も学生時代YHクラブに属しておりドイツから生まれたYHが日本国内に広がり北海道をはじめとして旅した頃をふと思い出しました。
学生時代にここに泊まっていたら?さぞかし人生観が変わったかも… 上り途中から見るライン川と街並みしばし感動のひと時でした。無事孫たちと上り、帰り道は上り同様お互いに日本語、ドイツ語、英語で数を数えながら下りてきました。さて、昼食は現地の人たちに有名なレストランでビール片手に楽しみました。ドイツ人の案内なのでレストランでは日本人には一人も会わなかった。これも違った楽しみかも。今夜の宿は可愛いペンションです。夕飯はまたドイツ独特のローソクの明かりの灯る落ち着いたレストランで過ごしました。

8月16日(土)鈴木写真9昼間まで市内観光と言っても小さな町ですが、そこに何と! 2000年前ほどのローマ帝国が築いた城壁を見てきました。当時のローマ帝国の隆盛がここドイツまで影響があったとは? 鈴木写真10城壁の中で孫が大きな声で歌い舞っていたのが可愛い!! 昼食後また船に乗り、歌で有名なローレライの岸壁を見ながら電車に乗るボッパルトに着きました。そこから乗り換えてデュセルドルフ空港駅経由ボッフンに着きラインの旅が終わりました。夕飯はテイクアウトの中華(焼きそばと春巻き)を食べてライン下りの旅を思い出しながら就寝。

8月17日(日)今日は8年前に長女が結婚式を挙げた町、ハッチィンゲン(電車で2駅)でドイツ最後の日を過ごします。
鈴木写真11 今夜の宿は式を挙げた教会近くの1729年に建築された小さなホテルに泊まります。早速に荷物を置き、昼食は披露宴を行ったケムナーデにある築600年の古城のレストランに向かいました。あれから8年いろいろ感慨深い束の間のひと時でした。孫たちと別れて宿泊先のホテルで夕食、そして朝食、宿泊は私たち他ドイツ人の観光客3人でとりました。残念ながらドイツ語が挨拶しかできず、もっと会話が出来れば楽しいのだが?鈴木写真12昼近く孫たちが来て、ハッチィンゲンの町を散策、買い物で過ごし、お名残惜しいですが空港へ向かいました。
 6泊8日の久しぶりの束の間の夏休み、孫たちを囲んだ楽しいドイツの旅も空港でドイツビールを味わい、また会いましょう! と抱き合いながら別れを惜しみました。

 ゼーエンヴィアウンスヴィーダー!!(また会いしましょう)





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