4月度定例会 4月10日(木) 錦糸町「龍園」 参加者 16名 司会進行 鈴木副代表
川田代表 挨拶 1.平成25年度事業報告 川田代表 会計報告 国府田会計 会計監査報告 中村会計監査 各分科会報告 研修、ゴルフ、落花生、パソコン、各分科会代表 2.懇親会 乾杯の音頭 中村会員 美酒、中華料理を楽しむ 手締め 福田会員 司会者より閉会の挨拶 |
5月度定例会 5月8日(木) 中小企業センター 参加者 12名 司会進行 手塚副代表
川田代表の挨拶 1.講演会 「からだに負担の無い歩き方を考えてみよう」 講師 増井 聡氏 山下会員紹介
2.異グ連から 合同交流会について 6月11日 センターにて 全員の参加を! H1すみだ6月度定例会はなし 3.各分科会報告 研修、パソコン、ゴルフ、野田山、落花生など各分科会より 報告 4.全員発言 |
研修分科会 4月度研修会 4月23日(水) 丸勝建設 5名
1.「本」本研修
「リーダーシップとは言葉の力である」」 斉藤 孝著 第1回 全員にて輪読 勉強、意見を出し合う。 2.4月6日、お花見報告 3.次回からの研修「本」選択について 5月度研修会 5月28日(水) 丸勝建設 5名
1.「本」本研修 「ドラッカーで見つめな直す経営」 最終回 全員にて輪読、意見交換。 2.研修分科会行事について、見学会、暑気払いについて話し合う。 |
ゴルフ分科会 5月18日 ゲスト入れ10名にて |
たけのこ山分科会 竹の子刈り 4月29日 ゲスト入れ14名にて |
街歩き分科会 なし |
小旅行分科会 なし |
パソコン分科会 なし |
落花生分科会 なし
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ものづくり分科会 なし |
異グ連交流グループ連絡会議 ●異業種グループ連絡会議 ●フォーラム・フェア委員会 H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加 |
第1回 4月7日 丸勝建設 10名 川田代表進行
1.総会議題について 4月10日錦糸町「龍園」にて 2.5月定例会について 3.各分科会報告 a)研修分科会 「4月6日、お花見報告」 b)竹の子刈り 4月29日 c)ゴルフ分科会 d)合同交流会について e)幹事会の日取りについて 第2回 5月2日 丸勝建設 7名 川田代表進行
1.5月度定例会の議題について 講演会を山下会員紹介の「からだに負担のない歩き方を考えてみませんか」 講師 増井 聡氏で、司会は手塚副代表に 2.6月異グ連合同交流会について 説明 3.7月度議題について 8月暑気払いについて 4.今年はフォーラムは中止 |
白井たけの子山 筍狩 たけの子山分科会
代表 手塚庄造
4月29日(火曜日)筍
たけのこがり狩を無事開催することができました。 この日は天候にもめぐまれ、寒くはなく筍狩を楽しむことができました。 たくさんの筍を掘ることが出来ました。120〜130本位で、大変なお土産で、近所・親戚の方へさし上げて、たいへん慶ばれたとの事です。 また、バーベキューの方は福田さんが出席できなかったのですが、全員参加型のシェフとして楽しく過ごすことができました。 参加者:鈴木、川田、堀内、山下、小林、手塚、野田(家族6)、 内海(友人2)、中村
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賞 状 鈴木会員
お世話様です。 5月21日組合(東京電設資材卸業協同組合創立50周年総会)時に長年組合運営、活動に貢献した? 旨、 都知事賞が授与されました。 皆さんには関係ないですが、一言 曳舟の遊迷人@すずき |
香 港 内海 恒人
5月23―25日いつもの仲間と香港へ行ってきました。 初めて外国へ(香港)の旅行は、今50歳になる娘が高校3年生の時、日本旅行のツァーで行ったのが最初で、やっと庶民が外国へ(おもにアジアだが)行かれるようになった時代でした。地図等で多少の知識を持っていた。−−ソコソコ国内は知っていたのですが、やはり他の国は違うと実感してきたのを思い出します。 −−20 階くらいの高層ビルの林立と難民のバラック群、街中に人があふれていて人ごみと喧噪、特に広東語は甲高く聞こえる。表通りは華やかだが裏に回ると生ゴミの饐えた匂いとトイレのアンモニァ臭(昔、浅草の瓢箪池のまわりもあの匂いがしていた)今では考えられないがそんな時代。あの時もビクトリァ湾の海上レストランで食事したのだが、湾内には沢山のサンパン舟がもやっていて少数民族の蛋民族が舟の中で暮らしていた、着衣など貧しそうだが、どの船にも3、4人の子供達がいた、さすがに今はもやっている船はいなかった。 あの頃も宝石店が沢山あって店の入り口にガードマンが銃を持って警戒していた、また九竜の一角に旅行者は立ち入れない場所があったし、同じ国なのに中国との境界には軍隊がいて厳しい審査をしていた。それでも越境者は絶えなかったという。その後10数年前タイ、バンコク、へ行った時、安いツァーを探してきた友達がいて3人でやはりキャセイ航空だと思ったが、機内の窓から下を覗くと台湾の上空を飛んでいた。この機バンコク行くのに香港経由だったのだ。トランジットではないが香港で乗客はいったん降ろされる。確か8時間くらいかかって着いたと思う。しかしこの時も上空から高層ビルの立ち並ぶ素晴らしい眺めに感動したことだった。 成田発9:30発のキャセイ航空に乗るのに7:30にJTBの窓口とは早すぎる。−−73番の搭乗口、目の前に双発でやけに胴体の長い飛行機が待っているボーイング777、いつも外国へはジャンボだったが、この飛行機双発でもジャンボ並みの搭乗者を乗せる、エッ驚いたがホントに500人近くを乗せて飛んだ。が、いかんせん座席が狭すぎる。エコノミーだから仕方ないか4時間我慢しょう。搭乗してから、離陸したのは10時過ぎ、空港の離発着いつものことだが、香港空港に着いたのは2:30、空港でたのは3時過ぎになってしまった。しかし1時間の時差があり南国だから暮れるのは遅い。 −−ツァー料金値切ったわけではないが、香港から広州へ行く鉄道がある砂田駅の近くのリーガルリバーサイドホテル、かなりの郊外だが、九竜の中心街までは地下鉄で行かれる、ホテルの周辺は地下鉄の駅前で結構繁盛していた。その晩、ビクトリァ湾の海上のレストラン、ビクトリァピークの山頂までのツァーに参加したが百万ドルの夜景、昔は他がなかったから有名だっただろう。今、世界各国で見られる景色だが函館を思い出し一応納得した。JTBのツアーにしては海上レストランの食事と、翌日の飲茶料理はいただけない。また郊外のホテルまではバスが迎えに来ず、集合場所(マルコポーロホテル)まではタクシー利用。ここのホテルにもこのツァーに参加している人たちが宿泊している、九竜の一番の繁華街にあるホテルで周辺にはシュラトンやシャングリラ等世界に有名なホテルが沢山ある。ここから若い女性2人と数人の日本人がバスに同乗、しかしその方達の宿泊代は高いだろうな? と思った。帰りはホテルまでバスで送ってくれた。 香港とひとくくりしているが香港島は各金融機関や外国資本の大手や行政府が高層ビルに入っている。九竜とは海底トンネル(日本の熊谷組が作る)で結ばれている、2日目はビクトリァ湾を渡船で渡ったが船上からの両岸の眺めは素晴しいの一語に尽きる。今日もピークトラム(登山電車)で山頂へ、今、香港は梅雨の後半であまり晴れた日は少ないのだそうだが高い雲は多かったが綺麗に晴れていて最高@@バスで香港の中心部を回ってくれたが、昨日と今日同じガイドであまりサービスが良くない実は今回の同行者に中国人の女性がいた。私らは全然中国語はわからないから彼女に通訳頼むのだが、なんか、あまり通じてないみたいだった。私がいろいろ聞きたいことや案内してもらいたいところがあるのにガイド適当にはぐらかせられてしまった。 飲茶料理。この日の同行者は同じホテルからのご夫婦とマルコポーロホテルからの一人旅の上品なご婦人。ご夫婦はつくばXプレスの(みらい平)から「結婚35年の記念旅行です」。ご婦人は「熊本出身で今は福岡に住んでます」との事、食卓での会話だが短い時間であまり詳しい話聞けなかった。本当は前日の若い女性たちの食事の時にも種々会話を楽しみたいのだが私の同行者が嫌がる。私にすればH1の原稿書くのに沢山の話題が欲しい。 食事後繁華街の観光もソコソコ土産物店へ「絹製品の店」で5000ドルのパジャマを3000ドルに値切って買った、その晩早速着て寝た、なかなか気分がいい。 次は宝石店、今更プレゼントする相手もいない。(黒真珠の首飾り)3ケ月前に知人のお通夜に行った時女房に数珠を借りて行って行方不明、叱られた、黒真珠の首飾り2個つなげるとちょうど同じ長さ(日蓮宗の数珠は普通の数珠より長い)2個繋げてもらって首飾りと数珠に使えれば思って、日本円1本3万円を2本を3万円に値切ったら、なんとこれがOK、同行者に笑われたが、しかしやはり女房に「縁起でもない」と不興で逆に怒られた。残念。3時過ぎにツァーは終わり九竜の繁華街でタクシー止めて交渉、今度は運転手ウンウンとうなずいている、同行の女性と交渉が成立したらしい、私達には分らなかったが女性の話「私の出身地は中国の福県省で土地の言語は台湾語、香港の言葉は広東語で、自身も北京語がイマイチ、この地ではほとんど中年以上は北京語が通じない」。今まで何で同じ中国人で国の言葉をしゃべっているのに戸惑っていたのがやっとわかった。 −−今度は安心して先刻通ってきた海底トンネルをまた通って香港島へ、狭い階段状の路地に骨董屋さんらがひしめく、昔から庶民の生活の暮らし、またいまだにある古い2階建ての路面電車等、そんな暮らしを見に行くのが今回の目的だったのだ。−−なん10年も前の自分たちの下町の様子にそっくり、を思い出して感慨にふける。九竜に戻り同行者のたっての希望でフラワーマーケットとバードガーデンへ小さな店が路地の両側に軒を連ねているオームからインコ、色とりどりの小鳥からけっこう大きな鳥まで大きな鳴き声の鳥もいてうるさいくらい。目の前がプロの野球場で時々大歓声が聞こえていた。一般客に自慢のペットを腕に載せて見せびらかしているいい大人が何人もいた。−−「放生鳥」と描いた札を鳥かごに貼ってある中にインコみたいな鳥がいる「何の鳥」後で聞いた。「中国には鳥や飼っているカメなどを自由にしてあげて自分にも福が来るように」という風習があるのだそうだ。納得。−−日本でも逃げ出したインコが繁殖しているとテレビで見たことがあるが?。 印旛沼ではカメツキ亀が繁殖して困っているのにこの国は迷惑ではないのか?。「そごう香港店」の1階の大部分がフラワーマーケット色とりどりの花がいっぱい、さすが南国、色鮮やかで綺麗だ。この夜やっと中華飯店でいつもの中華料理を食べられた、ウイスキーの水割りがうまい。2日間だが大分歩いた。さすがに疲れる。 |
インターネット・ポルノ依存症克服サイト
山下会員
なぜ生身のパートナーでいかなくて、ポルノでいけるのでしょうか? インターネットでポルノを見ているうちにインポテンツになるケースがあるとされ、そうした事柄と取り組んでいる団体が世界各地にあります。 ‘Your Brain On Porn’もまた依存症経験者と脳科学者らによって運営されているウェブサイトで、様々な質問や対処法などが紹介されています。ここでは様々な情報が紹介されていますが、インターネットのポルノにはまってしまって、一緒に暮らしているパートナーとのセックスがうまくいかなくなってしまった人の相談などに答えています。 それによると、ポルノを続けてみているうちに脳が変質して、依存症になってしまうことに原因があるようです。依存症は食べ物の依存症と通底している問題で、依存症になると脳がよりエスカレートする刺激を求めるようになり、その結果、パートナーとのセックスでは満足できなくなっていくと説明しています。 これは脳内物質であるドーパミンのシステムと関係しているようです。しかし、きちんと対処すれば数か月で立ち直ることも可能であるとしています。インターネット・ポルノにはまってしまう前に、リアルなセックスの経験が多かった人ほど立ち直りも早い傾向があるようです。また、20代でもポルノ脳になってしまって性行為ができなくなってしまうEDのケースも紹介されています。 ■ケンブリッジ大学での研究結果 ポルノ依存症者がポルノ画像を見た場合の脳をMRIスキャンして活性化している部分を非依存症者と比 較しています。依存症者の脳で活性化した場所はアルコール依存症者がアルコールの宣伝画像を見た場合と同様だったというのです。 ■ガーディアン紙 女性も次第にポルノ漬けに 男性のセックスは視覚から、女性はそうではないと考えられていましたが、女性がポルノにはまるケースが多数報告されています。このことから、女性も依存症になることが判明してきました。これは食やアルコールの依存症が男女ともに起きうることと同じではないでしょうか。脳の変質、ということが依存症の原因であれば女性にも起こりうることかもしれません。 ハフィントンポストではポルノ視聴者の3分の1を女性が占めるとしています。「ポルノはもうじきタブーな話題ではなくなる」とも書かれています。 インターネット新聞「日刊ベリタ」より(転載承認済み) 山下 |