2013年12月12日発行 |
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
10月度定例会・「フォーラムインすみだ2013」と兼用 10月18日(木) 中小企業センター 参加者 10名 13:30 受付開始 14:00オープニング(開会挨拶・オリエンテーション等)
14:10〜 〜第1部・講演とグループデスカッション
17:30〜〜19:00
〜第2部・交流会・名刺交換会
基調講演 三浦 展氏
「日本人はこれから何を買うのか? 〜超おひさま社会の消費と行動」 *グループデスカッション 「ビジネスを考える」 |
11月度定例会 11月14日(木) 中小企業センター 参加者 11+2=13名 司会進行 川田代表
川田代表の挨拶 中村会員・出演者紹介 <出前寄席> 1.身に覚えのない請求書への対策 那久寿亭良蔵 2.騙されないために 二松亭ちゃん平 何かと騙されない様にとのお話 <定例会> 1.各分科会報告 研修分科会、ゴルフ分科会、野田山分科会、 パソコン分科会、落花生分科会、古代東海道 散策 以上 2.異グレン、フォーラムインすみだについて 3.各会員発言 |
研修分科会 10月度研修会 10月23日(水) 丸勝建設 6名
「雑談力の上がる話し方」 斉藤 孝著
また大橋会員提供の「ドラッカーで見つめ直す経営」第3回 全員にて輪読 第9回を勉強 全員にて感想 2.研修旅行会新年散策について 11月度研修会 11月29日(木) 丸勝建設 4名
1.勉強会雑談力の上がる話し方 斉藤 孝著 第4回 「ドラッカーで見つめ直す経営」中止 全員にて輪読勉強意見交換 2.新年散策について討議 決まり次第皆さんにお知らせ |
ゴルフ分科会 11月コンペ 12名参加 |
小旅行分科会 なし |
パソコン分科会 なし |
たけのこ山分科会 なし |
落花生分科会 なし
|
ものづくり分科会 なし |
街歩き分科会 なし |
異グ連交流グループ連絡会議 ●異業種グループ連絡会議 ●フォーラム・フェア委員会 H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加 |
第7回 11月5日 丸勝建設 9名 川田代表進行
1.11月度定例会
出前寄席について 2.忘年会、新年会について 3.2月度定例会 革のお話について 4.平成26年度幹事団選出について 5.総会について 6.各分科会より 第8回 12月2日 丸勝建設 9名 川田代表進行
1.忘年会について 12月12日「大和田」にて 2.新年会について1月9日「千成寿司」にて 3.総会について「会場」何処にするか 4.平成26年度幹事団 幹事団留任と決定 5.2、3月の議題について 6.各分科会からお知らせ |
H1ゴルフ 内海 恒人
酷暑の夏、しかし今年の夏は猛暑でした。
さわやかな秋晴れの、茨城県岩間にある石岡カントリーウエストコースで楽しく1日プレーをしてきました。コースは距離はあまりないのですが、各ホール、多少アップダウンがあり、池やクリークが絡んでプレイヤー苦労していました。いつもより大分スコァが悪いのはそのためです。−−いいわけかな?
尚、いつものようにニアピンの結果 6番 小松、11番 陳、17番 手塚各氏が現金もらってウハウハです。 H・1からのクラブ会費は有効につかわせていただきました。 今回から高橋女史が復帰、また内藤氏の紹介で小松女史が新しくメンバーに、 −−難しい池越えの6番で無事ニアピンを獲得楽しい1日を過ごしました。 寒さが厳しくなります。会員の皆様ご自愛ください。次回は新春です。 以上のような結果になりました。 ご自愛ください。次回は新春です。 |
芸術の秋
2013年晩秋
鈴木良昇
秋は食欲、スポーツ、読書、芸術の心地良い季節です。皆様も忙しい日々の中、何かのご趣味に夢中になっているのではないでしょうか? 私は以前にも寄稿したと思いますが、50の手習いで始めた地元の混声合唱団に加わり、週一度の練習日に出来る限り参加していますが、思うように参加できないのが現実です。さて、今回の演奏会はすみだ2013区民音楽祭の一環として開催され、その3日目の8月25日の最終ステージでの演奏でした。また団として初めての3部構成(第一部男声合唱・第二部女声合唱・第三部混声合唱)、初めに第一部男声合唱「グレゴリオ聖歌から現代の響き」伝承歌、来たれインマヌエル・M、オッタヴィーニ・アヴェ・マリア・マルチェッロ「主よ、あなたの憐れみは」そして皆様ご存知のサイモン「明日に架ける橋」を歌いました。男声合唱は16名で少人数ですが、お互いのパートを歌いながら調和の大切さを意識しながら歌いました。歌え終えて思わずブラボー!と心の中で叫びました。本番まで凡そ1年半の練習と、1泊2日の合宿(今年は不参加)と臨時練習、真夏の弊社での男声特別練習と限られた期間内での精一杯の練習の成果が、大観衆のすみだトリフォニー大ホールの舞台で実ったと自負しています。
第二部女声合唱(アリアを歌う)4曲と第三部混声合唱 M、ハイドンキリエイ短調他を歌いました。第三部混声合唱は65名ほどで歌うので各パートの合せが非常に難しい!! です。音取り、言葉づけ、原語の理解、全体の流れと毎回の練習に本番直前まで合唱指導者、ヴォイストレーナーから歌う姿勢、発声など指摘されました。写真は本番前のゲネプロ(リハーサル)の様子をホール後方より撮りました。いざ本番も無事大観衆の暖かな拍手のもと終わり、その後の打ち上げでは遅くまで美酒に酔い騒いだ真夏の一日でした。皆様も年齢には関係なく何か趣味をもち継続して楽しむことが一度しかない人生をエンジョイする術かも・・芸術の秋何かにチャレンジしたいですね。 |
飛騨、北陸の旅 T 内海 恒人
秋の研修旅行は幹事の半沢氏が2ケ月くらい前から阪急の旅行会社と交渉して予約、ここ数年参加者が少なくなかなか企画しても実現するのが大変。今回は部外者2名の応援を入れても7名の参加でした。 阪急交通の企画は新聞の広告で見るが、有名観光地を庶民が大勢参加できるように安い値段で設定されている、当然ハードな観光になる、一泊二日で高山―東尋坊までとは、もう来年には新幹線が金沢までいくという、そうなれば随分と楽になるだろうが。 とにかく長野新幹線で上田まで、あとはバスの旅、前回の十和田湖の時はくたびれた古いバスで結構な人数でクッションも悪く、−−駅前に待っていたのはなんと40人乗りくらいの大型バス、それも新車みたい、多少年齢のいった美人のガイドさん。これは楽しい旅になると喜ぶ、信越道から長野道、姨捨山らを遠望しながら善光寺平から松本へ、途中、筑北パークでトイレ休憩さすが山国どちらを向いても山ばかり、売店でマツタケ売ってた、このへん今年は豊作らしい、ソコソコの大きさのを4本買ったが1万円もした。−−「いつも久慈からマツタケ送ってくるのだが、この日までまだ来ない、で無理して買ったのだが、旅行から帰った2日後に宅急便で届いた」。−−この時期毎年、一回はマツタケご飯を食べたい。昔、上山田温泉に泊まったことがあった「マツタケ狩りをしたい」と言ったら、「クマが出るくらいの奥ですよ」、素人では無理と言われたことがある。 山を下れば松本市だがバスからは松本城は見えない昔はかなり遠くから見えたのだが、いま駅周辺はおおきなビルが林立しているとのこと、国道158号を上高地、乗鞍方面へ、40年前くらいにこの道通って白骨温泉(あの頃は問題なく白濁したお湯だった)に泊まって乗鞍スカイラインから高山に抜けて観光したことがある、全く同じ道を走っているのだが道幅も広く走りやすそうだ、あの頃は急坂なジャリ道だったが気にもせず、若さはすごいもの。県境を越えて飛騨高山、何回も来ているので来ているので観光にそれほど興味はないが残念だったのは全員弁当だったので、名産の飛騨牛を食べられなかったこと。土産にと思い商店の肉屋に聞いたら「明日までは持たない」。北海道のカニさえ送れるのに冷凍の容器など用意してないらしい。古い街並みを散策しておしまい。高山から白川郷へ数年前までは道路も整備されていなくて高山と郡上八幡、下呂路温泉だけの観光ルートだったのだが「高山の郊外に合掌造り家が10数棟移築されていてミニ白川郷」へ、そこ見学して行ったつもり。 飛騨清見から東海北陸自動車道で2時間足らずで白川郷へ到着。−−まず駐車場の広いのに驚く、観光バスだけで20台くらいの広さがある、この日土曜日だったが、大型の観光バスの出入りが激しい。すごい人出、浅草の観光客と変わらない外国人、各国の言葉が飛び交う。1995年に世界文化遺産に登録されて一遍に外国からも客が来るようになったとのこと。たいして名物もないのに土産物屋がやたら多い、建物自体が古いのに民宿やってる家が数件あった。マ、今の時代だから昔の不便な生活様式に観光客は何か感じるものがあるだろう? しかし確かに山奥の人里離れた雪深い田舎でどんな生活をし、何を楽しみに生きてきたのだろう。 マスコミで今でもそんな暮らしが好きでワザワザ田舎暮らしをしている人がいるらしい。 この旅行誘われたとき加賀温泉郷で一泊と言われ和倉温泉の加賀屋を想定して能登半島の七尾か和倉だと思っていた。−−能登に行っていたらかなりの距離で強行軍だと思っていたが。 東海北陸自動車道、砺波で北陸自動車道と交差、直進すれば高岡から氷見、氷見は能登半島の付け根で寒ブリで有名。砺波から左折して金沢、福井方面へ。 私たちがまだ所得も少なくスキーなどできなくて夜行日帰りで、軽井沢でアイススケート場ぐらいが遊びであった。知り合いから車を借りてボウズのタイヤ「チエーンなどナイ」怖い思いをしながら雪の碓氷峠を上り下りしていた頃、−−たしか上りが優先だったと思うが下から登っていくと上方からチェーンが雪をかむシャリシャリという音がする、左側に避けていたもの。「大型とはすれ違えない」なにしろその頃あの雪の峠道、夜でも走っていたのは「北陸道から信越道」を砺波運輸の大型トラックだった。 その頃砺波とはどんな所だろうと思っていた。 地図で見ても内陸で特産品もないみたいだし、行って見なければわからないものだ、関連会社の社長の息子の結婚式に招待されたとき嫁さん「砺波の人」のお父さんが「砺波は良いところですよ是非遊びに来て下さい」と言われたが車窓から見て、砺波平野はとても広く花卉や野菜など富山湾の鮮魚を昔から首都圏に運んでいたのだろう。いろいろなこと思い出させる旅であった。 |