墨田区異業種グループ「H1だより」        2013年2月14日発行
 既刊




第83号


H1すみだ

鈴木会員

内海会員

●爆弾低気圧と原発放射性物質

山下会員






●2012年度『H1すみだ』活動報告


12月度望年定例会



 12月13日(木) 中小企業センター

  参加者 15名
司会進行 手塚副代表 


  川田代表 挨拶


 「宴会」

 乾杯の音頭  大橋会員

 美酒を傾け歓談

   全員発言にて盛り上がる

 手締め  岡部会員

 終わって、ホテルの場所を替え2次会、生音楽を聴きながら杯を傾け楽しい一夜を過す。




1月度定例会


 1月10日(木) 「スバル・スカイツリータワー ソラマチ31階」

  参加者 14名

司会進行 鈴木副代表 

   川田代表新年の挨拶

  「宴会」

 乾杯の音頭 堀内会員

 素晴らしい夜景を見ながら、美酒を傾ける、全員発言にて盛り上がる

 手締め、大橋会員にて 本年も頑張って行こうと、お開き。







<分科会>


研修分科会

12月度研修会


12月27日(水) 鐘ヶ淵「しゃぶ田」 8名


  美酒・上肉のしゃぶしゃぶを魚に大いに盛り上がる、例年も大いに勉強をと。


1月度研修会


1月23日(水) 丸勝建設 7名



 各自、本年の事を漢字一文字に表すとどの様な「漢字」になるか発表、大変盛り上がり美酒を傾け大いに語り合う







ゴルフ部会


なし




パソコン分科会


なし




たけのこ山分科会


なし





小旅行分科会


なし




落花生分科会


 本年度分販売




ものづくり分科会


なし




街歩き分科会


なし






<その他>

 異グ連交流グループ連絡会議


●異業種グループ連絡会議

●フォーラム・フェア委員会

  H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加





<幹事会>

  第9回 1月8日 丸勝建設 9名


川田代表進行
 1.新年会について

 2.2月、3月定例会の議題について

 3.2012年度総会について 4月11日(木)開催場所、内容について討議

 4.H1すみだ創立25周年記念行事について

 5.次期幹事団選出について

 6.全員にて自由発言

 7.全員発言


 第10回 2月4日 丸勝建設 3名


川田代表進行
 1.「H1すみだ」25周年について

  a)会費を幾らにする
  
  b)OB会員の招待の件について、その他

    本日参加者が少なく次回に








鈴木会員 フォトレポート



 1月11日のテレビ朝日「やじうまテレビ」でHOKUSAIが紹介されました。
 写真は取材のインタビューを受けている様子です。

鈴木社長(写真1)


 2月7日〜10日久しぶりの社員旅行で常夏のグアムに行ってきました。

 何度かグアムには行っていますが、今回はジャングルクルーズを楽しみました。

 また行きたいです!












2012年11月18日
会津・秋の名所めぐり「大内宿と塔のへつり」報告

担当幹事  半澤 浩一
研修・小旅行分科会共賛


 先日我が分科会主催の「大内宿と塔のへつり」日帰り旅に御参加戴き如何でしたか、今回は6名の参加にて皆さん元気良く集合時間より早く集合、お天気に恵まれた?写真1
 上野駅より「新幹線」にて新白河駅え、びゅうーバスにて観光開始、目的地、塔のへつり、大内宿へ 途中高地になるに従い甲子トンネルに向かう頃は小雪が降って来、期待した紅葉は少し遅く、しかし小雪交じりのまだ十分綺麗な景色で我々を迎えてくれた、第1の目的地「塔のへつり」は渓谷沿いの奇岩が圧巻である、次の目的地「大内宿」へ江戸時代の街道を今に残した情景は、また吹雪の中何とも言えぬ風情であった、
昼食は、バスの運転手推薦の「こめや」にてビール・あつ酒、などまた名物の「長ネギにてのそば」岩魚の塩焼きが大変美味しく、大いに雪の大内宿を堪能する。

写真2 次は最後の会津若松の「鶴ヶ城」見学にお城とは云え昭和に入ってから再建された鉄筋コンクリートのお城で、しかし昔の面影を再現し特に白虎隊の少年の肖像画が哀れを誘う、お城を後にバスにて会津若松駅へ、磐越西線快速にて郡山駅に、構内の居酒屋「湖穂里」にて本日の慰労を兼ねた反省会を開催、大いに盛り上がる。事故も無く秋の一日を堪能し、新幹線にて出発した上野駅へ、無事解散。

 次回もいろいろ企画致しますので是非多数のご参加戴き皆様と尚一層の懇親を深め今後も「H1すみだ」分科会活動にご協力下さい。

 今回ご参加の方大変お疲れ様でした。

 また今回の旅行にお力を戴いた幸福トラベルの小林会員に感謝致します。









会津鶴ヶ城
内海 恒人



写真1(内海) H1の秋の研修は今年は福島応援の日帰りの旅に決まった。私は最近ボケが進んでいるのか。−−いろいろなことが半分ぐらいしか思いがいかない。−−幹事からfxで11月18日(日)に決定という、参った。半沢氏に不参加と伝えた。

 実は11月15日はハンタ−のお祭りの日だ、この日はどうしても仲間と猟場へ行かなければ。−何年か前かこの15日にH1主力メンバ−の岡部氏の長女の結婚式があった。たしか帝国ホテルでの披露宴に招待されてメンバ−全員でお祝いをした。

写真2(内海) 何年前だったろう、この年の鉄砲祭りに参加できなかった。

 今回、同行1人の都合で京都行きを16,17日に決めてしまった。15日のお祭りすっかり忘れている。結局何年振りかでお祭りは断念。−−東京駅6:26分、早朝5時に起きなければ、−−連日は無理だ、年で身体がえらい。

 研修の出発は上野、集合時間、それも8:50分、これなら何とか行かれそう。急遽参加を申し込む。新白河、昨年十和田湖行くときもここで降りた。今年三春の滝桜見にゆくときもこの駅だった。駅前はいつもきれいにしている、あまり乗降客もいないのだろう。今回、大内宿の旅はビユー主催の旅。列車からは相当の人数が降りる、この人たちが今回の同行者バス2台に分乗していよいよ出発。写真3(内海)

 平成20年に完成した甲子トンネルを抜けると下郷町だが、トンネルができる前は狭隘の谷間で国道289号線なのに不通区間だった。−−この山中に甲子温泉がある。結構有名らしい、日本秘湯の会というのがあってランプの宿などを回っているという.−−この季節に吹雪が舞っている紅葉の谷間からランプの一軒宿温泉旅館、大国屋が見えた。どんな人たちが滞在するのか。−−下郷、道の駅でトイレ休憩、いやおうなしに車外に出るが気温は1度雨降り、まだ寒さに慣れない体が震える。

写真4(内海) 雨が小やみになって塔のへつりを散策。何十年前も前に、猟友会の先輩に連れられて河治から五十里湖、山王峠、会津田島から会津坂下まで(阿賀野川河畔でカモ猟をする)何回か行ったことがある。まだ国鉄でたまに蒸気機関車が走っていたころ、塔のへつりも大内宿もあまり一般に知られてなく閑散としていた。−−その後、猟友会の旅行で芦ノ牧温泉に行ったことがある、その時は阿賀野川支流の小野川水源地でダム工事をやっていた、(大内ダム)ダム工事というのは大勢の労働者が働いている。あの大川沿いの狭い谷間の町、芦ノ牧温泉は工事の関係者でとってもなく賑わっていた。スナック、バーが何軒もあり、たしか違法だが売春宿まであった。

写真5(内海) 大内宿は会津と、下野けの国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅と1640年頃に整備された宿場町。会津西街道ともいわれ会津藩主の江戸参勤交代や、江戸廻米などの輸送路としのて重要路線であった。

 今の大内宿、数十年前の前は、パソコンを見て探したが、古い写真はない。−−その頃私が見たのは半分は茅葺屋根をトタンでかぶせてなんとか住まいにしている、−−破れて朽ちるのかのような宿場町であった。

 変われば変わるもの今では立派な観光地になっている。

写真6(内海) 会津藩。(陸奥、会津地方で23万石)−−仙台、伊達正宗のこの地方一帯を跋扈する勢力の押さえに秀吉が蒲生氏郷を城主にした。何代か城主が変わって山形藩主だった保科正之氏。(二代将軍,家忠の子)その後、松平を名乗り戊辰戦争の時の藩主は第9代、松平容敬。藩は藩校(日新館)を創り子弟に文武両道を学ばせ、質実剛健の武士を育てた。

「だが時代を見る目(世の空気を読む)が」、導者層に欠けていたと後日指摘されている。そうゆう境遇の子供達だから少年ながらも勇敢に闘かったが、城が白煙に包まれ落城したものと20名の15,6歳の若武者は自刃して果てたという。

 今、飯盛山の墓所には動く歩道が設置されていて善男善女が、墓参に訪れている。墓前には供花と焼香の煙が絶えない。

写真7(内海) 少し離れているが家臣たちの武家屋敷がある。会津藩家老、西郷頼母邸を中心に昔の建物を大切に保存してある。当時の武家の暮らしがうかがい知れ興味深い。−−この西郷邸の中に一族20数名が自害したという部屋がある。敵兵に辱めを受けずと辞世の句を詠み自ら胸に短刀を突き刺した女性たち、現代の女性ならこのような時どんな対応をするのだろう?「知り合いの女性たちに今度聞いてみよう」。

 ずいぶん昔の話だが初めて会津へ行ったとき、東山温泉に泊まった。宴会の余興で容姿端麗な芸子さんが黒無地小紋に白のタスキ掛け白鉢巻で、薙刀を操りながら、年増の芸子の三味線、唄と詩吟に合わせて優雅に「白虎隊」を舞った。あまりの見事さに一同喝采したのを憶えている。このモデルは藩の才女「中野竹子」。
写真8(内海)
 竹子は妹やその他の薙刀をたしなむ女性たちと(会津娘子薙刀隊)を組織し官軍相手勇敢に立ち向かったが、官軍の銃砲には敵わず敗れた。辞世の句は[もののふの、猛き心にくらぶれば、数にも入らぬ、わが身ながらも]。

 会津、ゆっくり旅なら裏磐梯や山のいで湯など見どころは沢山あるのにもったいない旅でした。








「富士見の不思議」の不思議
山下 茂

写真1(山下)

 『富士見は“不死身”に通じるというので、江戸時代の武士にもてはやされた』というような惹句に誘われて「富士見の不思議」なる本(新書)を買いました。“路上富士”と称して、歩いていて富士山が見える場所を紹介しています。路上ですからスカイツリーの展望台やビルの屋上はダメ、横断歩道橋も駅のホームもダメです。普通の道から見えるかが条件です。歩いて渡れる橋の上は良いようです。
 さて墨田区はどこから見えるのかなぁと読みすすむと、「墨田区には無い!」とばっさり。三角州の墨田区の地面はペッタンコで、高低差は無く、坂道すらありません。高い所といえば、土手の上とそこに架かっている橋です。

 荒川の土手と橋はどうか。葛飾区側から新四ツ木橋に上がると富士山がよく見えます。橋の真中からは墨田区だろうから、真中を過ぎても見えれば、墨田区の路上富士ってことです。見えます、大きな富士山がきれいに見えますよ。これからの季節は空気も澄んで、真っ白な富士山を眺めると気分が爽快になります。上流の水戸街道の四ツ木橋からも、下流の木根川橋からも、よ〜く見えます。

 写真は08年12月の撮影です。「富士見の不思議」の著者が気付いてくれるように、会社のホームページに掲載しました。




初秋のスナップ@ H 1 すみだ:すずき


写真1(鈴木)写真2(鈴木)




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