墨田区異業種グループ「H1だより」        2012年8月9日発行
 既刊




第81号





●2012年度『H1すみだ』活動報告



 8月度定例会



 8月9日(木) 吾妻橋「とんぼ」

  参加者 15名
司会進行 鈴木副代表 


  川田代表挨拶及び定例会報告


 「宴会」乾杯の音頭  半澤会員

 美酒を傾け歓談、参加者全員発言、最後に手締め 内海会員にて

 大変盛り上がり楽しい暑気払いでした。




9月度定例会


 9月13日(木)中小企業センター

  参加者 14+4=18名
司会進行 手塚副代表

  川田代表の挨拶



 1.講演会
   「成人病の原因、予防、食事について」

   医学博士杉浦玲子先生・和洋女子大学

   準教授(川田代表の姪)

   ワインを飲みながら勉強・質疑応答

 2.各分科会報告

   研修・ゴルフ・野田山・パソコン・小旅行 各分科会リーダーより

 3.11月定例会にて、中村会員より紹介の街歩きのお話ついて報告

 4.会員全員より発言







<分科会>


研修分科会

 8月度研修会


8月22日(水) 丸勝建設 4名


 1.「本」研修

   第5章「おしゃべりの効用」〜第6章

   病の効用「人はしょせん、一人ひとり違うのだ」全員にて輪読、感想を発表

 2.自由発言


 9月度研修会


9月26日(水) 丸勝建設 6名


 1.「本」研修

   「悲しみの効用」五木寛之著

   第5回勉強会 第6章 病に効用〜

   第7章 マンネリの効用まで、

   全員にて輪読 感想の発表

 2.自由発言







ゴルフ部会


9月26日 佐倉にてコンペ 9名




パソコン分科会


なし




たけのこ山分科会


なし





小旅行分科会



なし






落花生分科会


 なし




ものづくり分科会


なし






<その他>

 異グ連交流グループ連絡会議


●異業種グループ連絡会議

●フォーラム・フェア委員会

  H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加





<幹事会>

  第5回 9月3日 丸勝建設 7名


 川田代表進行

 1.8月定例会・暑気払いの反省

 2.今後の定例会の議題について

   ・9月度定例会にての「講演会」について

   ・10月定例会にての「街歩きについて」

   ・11月度定例会はフォーラムにて中止・忘年会・新年会について

 3.H1すみだ創立25周年記念行事について

4.各分科会報告

  研修、ゴルフ・パソコン・野田山・落花生・ものづくり各分科会より

 5.次期代表選出について


 第6回 10月1日 丸勝建設 8名


川田代表進行

 1.9月度定例会について反省

 2.10月度定例会、講演会について

   「隅田街歩き、歴史について」すみだ郷土資料博物館 福沢徹三講師にて

 3.フォーラムについて

 4.本年度・忘年・新年会について

 5.「H1すみだ」25周年記念行事について

 6.各分科会報告

 7.ものづくりテクノフエアーは本年度は中止








函 館

内海 恒人 


写真1
 それぞれの夏休みがあります。現役を引退した私ですが毎年いろいろな知人に誘われて結構楽しい休日を過ごしています。今年は事情があり9月7、8日函館へ、−−理由はこの春入院中(肺炎と糖尿病)食事制限されていました、テレビで旅行番組のなかの美味しそうな料理にホントに悔しい思いをしておりました。時々回診に来る先生、看護師にその番組を見ながら「食べたい食べたい」を連発していました。

 先生、看護師とも「治ればいつでも食べられますよ」。病院食は薄味で間食はダメと厳しく辛かった。退院してからの食事にはあまりこまかいこと言われていない。大人だからわかっていると思ったのか。
写真2
−−タラバ、毛ガニ、本マグロ「良し、北海道へ行こう」。治ったら即と思っていましたが病状が安定せず、その間眼科で白内障の手術。約4ケ月経ってやっと実現しました。−−8月に孫連れて京浜急行で三浦海岸、三崎市場へ市場前の食堂で本マグロの刺身、ヅケ丼等を食べたが予想していたほどの美味ではなかった。−−この時渡船で何10年ぶりかで城ケ島へ行ったが昔年の面影は全然なかった。「雨はふるふる、城ケ島の磯に、利休ネズミの、雨が降る」とうたわれていて、私たち若いときは岩場でのサザエ、トコブシ探しや遊泳によく行ったもの。夏だけではなく磯遊びもできる観光地だったのにあの賑わいはどこにいった、寂れように驚いた。
写真3
−−北海道行はエアズ−の飛行機、幸福トラベルにまかせた、羽田の一番左から前方へ相当歩く、機に乗り込むまでに年寄りは疲れる。−−空港からトヨタレンタカーで函館シーサイドゴルフクラブまで15分で着いた、シーサイド海べりの丘の上からの眺望は素晴らしいがコースは荒れているバンカーが多いのに各メンバー苦戦していた。最後の18番テイーでキツネが出てきて歓迎してくれた、みなさん大喜び、ゴルフ場のスタッフに言うと「お客さんがお菓子上げるので人間に慣れているんですよ」、ずいぶん前の話だが釧路のゴルフ場でもキツネがいたがスタッフに「何もあげないで」と言われことがある。−−ゴルフ終わって時間が早い、一応予約してある旅館を捜しチェックインしてトラピスト修道院をナビに入れるナビ見ながら走るがどうも様子がおかしい、市電の五稜郭前の停留所で気が付く同行者に詫びて五稜郭に行くことにした。トラピスト修道院とは男性のみの修道院だそうで江刺に向かって20キロも先にある。−−まぎらわしい。

「五稜郭−−北方防備の目的で造られた、日本初のフランスの築城方式の星形要塞で国の特別史跡に指定されている幕府軍と官軍の最後の戦いである函館戦争の舞台になった」
写真4
〔函館奉行所]−−江戸時代末期、函館開港時に政庁として設置された行政府、開国後の蝦夷地防衛や行政、外国人の応対を担当した。当初は函館山山麓(元町公園)に設置されたが砲撃にさらされやすいという理由で要塞(五稜郭)が建設され完成後移転された、−−函館戦争では戦場となり新政府軍に降伏後解体されたが2006年に函館市は当時の図面、古写真、文献、資料に基づいて奉行所の復元工事に着手2010年完成する。−−バスガイドと観光客の後ろをついて説明を聞けばいろいろ教えてもらえる。
写真5−−湯の川温泉平成館の風呂は源泉が細く沸かし湯と説明してある、13階の露天風呂は赤湯だ、いろいろ効能が書いてある、津軽海峡のイカ釣り船の明かりがきれいだ、左手には空港の滑走路がどこまでも。−−夜食はバイキングですごく多彩な料理が並ぶ、味が良く美味しいと同行者に褒められたが残念ながらカニはなかった。小林氏は函館だからバイキングでもカニが出るはずと聞いてきたのに。−−食事後百万ドルの夜景を見に行こうとナビを函館山にセット、赤レンガ倉庫群を右手に見ながら進む登るにつれて灯りがなくなり暗くさみしくなる、まわりは墓石ばかり行き止まりは葬祭場だった、火葬場も併設されていたみたいだった。後でわかったが外人墓地だった。暗くさみしいわけだ。
写真6−−ナビ入れなおしてケーブル下へ観光バスが数10台、すごい人の数だが何とケーブルは1度に200人乗せる、前の人について相当階段を上らされたが、目の前の絶景に声もない。函館には今まで2回も来ていたのに今回初めて夜景を堪能してきた。

翌早朝、函館港、市場へ港には青函連絡船の摩周丸が係留されている。−−お台場の船の科学館にも連絡船の羊蹄丸が係留されていて船内を見たことがあったが内地を離れて北の大地を目指した先駆者達はどのような思いで連絡船に乗り津軽海峡を越えて行ったのだろう。いま科学館に羊蹄丸はないが。

写真7朝市は観光客で混んでいる、店先の水槽にタラバ蟹が重なり合っている売り子がしつっこく口上並べて追いかけてくるが1キロ7000円と言われて手も出ない。同行者が1.4キロのタラバを値切って1万円でゲット、抱えて記念写真を撮る。−−どんぶり市場食堂にてタラバ足2本生アワビつきの海鮮丼を頼んで1人タラバの足1本を食べて満足ではないが予算がない、カニはおしまい、だが本マグロの刺身はうまかった。

高田屋嘉兵衛−−元町公園に銅像がある、幕府役人と接触し、信を得て蝦夷地交易を許可され幕命により択捉航路を開き蝦夷地物産売りさばき方となり、また(函館)の北洋漁業の基を築いた功労者。幕府に依頼され国後島と択捉島間の航路開拓を行う、択捉島は鱒,鮭が豊富で17ヶ所の漁場を開き、島に現住していたアイヌの民を雇って漁法を教え彼らの生活向上に資した。
写真8
「一握の砂」石川啄木の有名な詩集、啄木は教育者、新聞記者などをしながら詩を書いていたが、年中素寒貧で金田一京介の援助を受けていた、27歳の若さで早世したという。

「東海の小島の磯の白砂に我れ泣き濡れてカニとたわむる」
「たわむれに母を背負いてそのあまりの軽きに三歩歩めず」
「働けど働けど我が暮らし楽にならざりそっと手を見る」
「ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中そを聞きに行く」
写真9
 函館山から南東に立待岬がある、森昌子が唄って多少ヒットしたらしいが、晴れている日は下北半島まで見えるという観光スポット。日中だけではなく夜はイカ釣りの漁火がまじかに見える。岬に行く途中の丘の上に啄木の墓がある。岬の左手の大森海岸は啄木がよく散歩していた。

 今朝通ってきた道「漁火通り」を湯の川に向かって戻る飛行場前の交差点を左に小高い丘の緑に囲まれた静かな場所、トラピスチヌ修道院、1898年フランスのトラピスチヌ修道院から派遣された8名の修道女によって設立された。1度修道女になれば壁内、囲いの中だけの生活にとなり俗世から完全に隔離された世界に住む、壁の外に出るのは選挙などに限られる。一生を神に捧げ、厳格な戒律に従い、共同生活に入る、祈り、読書、そして農作業などの労働が生活の中心となる。会話は必要最低限に限られ沈黙が義務づけられている。売店で売り子の若い女性に「中の人達はどんな生活してるの」? 聞いてみた「まったく交渉がないので全然分からない」とのことだった。
写真10
 どんな境遇の人達が入所(院)しているのか?、神様みたいな人たちだけではないないだろうと思うが、渡海半島中央部の国道5号線を長万部に向かって走る、高速道路があるから早い、昔、国道を走ったことがあるが函館隣町の七飯町は果実の町で道路の両側にりんごの木が沢山あったように記憶している。

 40分くらいで大沼着、大沼、小沼、ジュンサイ沼は駒ヶ岳の火山活動によってできたせき止め湖で屈曲の多い湖岸線と多くの小島によって道内では珍しい日本的な景観。−−大沼公園は周囲9000hm道内の自然公園では最も温暖な地域にあり海抜10mを多少超える程度だが高原状の地形となっているため真夏でも気温が30℃を超えることなく冬にはマイナス10℃を下回る日あるといいます。
写真11
 湖沼郡は結氷する、ワカサギの養魚場があり季節には穴釣りが楽しめます。−−1951年に国立公園に指定され1915年大沼は新日本三景に入選し、1958年国定公園に指定されました。

 1人2500円4人で1万円払ってモーターボートチャターし沼を半周、どのくらいの早さか分からないがかなり早い、運転手のガイドで結構楽しめる、遊覧船や手漕ぎボートの客たちが手を振って歓迎してくれる、湖上から眺める駒ヶ岳は神々しく見せていた、この日雲ひとつない上天気だった。周辺のなだらかで大きな丘陵地は酪農の牧草地帯のこと。−−20年以上前の話だが早朝出発で一泊2プレーでゴルフをしたことがある−−あの頃は若かったなぁ。

写真12 5号線をJRに沿ってさらに走る、30分くらいで森町へここの駅弁が全国の駅弁大会でいつも上位に入っていて有名、どんなところで作っているのか興味があって行ってみたが、この町に工場はなかった。高倉健の「〔あなたへ」の映画の中で草薙剛がイカ飯の販売員で出演いる、お手伝いで高倉健がイカ飯を詰めている場面があった。

 駅前の売店で弁当買って食べてみたが小さなイカで3個入っていた。たいして美味ではないが素朴な味だ、なぜ人気があるのだろう。










束の間のNYでの夏休み@すずき

NY写真1NY写真2
NY写真3




名取ゆりあげ地区@すずき

 10月6日〜7日組合北支部研修旅行に支部会担当副理事長の立場で東京駅から参加いたしました。仙台方面で昼食は牛タン定食でした。また被災地名取ゆりあげ地区を視察しました。復興にままだまだ遠〜い道のりですが皆様頑張っています。H 1 でも是非とも行きたいですね。

曳舟の遊迷人@すずき 

名取写真1名取写真2
名取写真3名取写真4







福島へ行ってきました
山下 茂

 中学の同級生たちと福島は大塩温泉に行ってきました

 中山会員ご紹介のフランス人講師お薦めの民俗学者「宮本常一」によると、塩がとれる温泉です。20リットルの湯を3時間以上かけて240グラムの塩をとると宿の案内板にありました。その山塩をもちろん買ってきました。

 天気もよく、蕎麦やラーメンも堪能して、五色沼をハイキング、磐梯山もくっきり。気分は爽快!

 ところが、宿のそばには「イワナ」自粛の看板、宿でもらった福島県の温泉案内地図(SPAP)には「原発事故」に対する広告…

福島写真1
福島写真2
福島写真4
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福島写真3
福島写真5





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