6月度定例会 6月14日(木) 中小企業センター 参加者 15名 司会進行 手塚会員
川田代表挨拶 会員講演会 「夫婦二人連れフランス紀行」 講師 中村会員 1.各分科会報告 研修・ゴルフ・パソコン・小旅行・ 野田山・すみだ街歩き・落花生 各リーダーより 2.お知らせ事項説明 3.H1だより 79号発刊 説明 4.参加者全員発言 |
7月度定例会 7月12日(木)中小企業センター 参加者 14名 司会進行 鈴木会員
川田代表の挨拶 1.東京スカイツリー・開業1ヶ月半 皆さんのお話 出席者全員発言 14名中ツリーへ上った人6名。後8名はまだとの事 2.暑気払いの件8月9日「とんぼ」にて説明 3.各分科会報告 研修、ゴルフ・野田山・パソコン、 小旅行 各分科会リーダーより 4.異グ連交流グループ「講演会」のお誘い 5.会員全員より発言 |
研修分科会 6月度研修会 6月27日(水) 丸勝建設 5名
1.「本」研修「悲しみの効用」第2回 全員にて輪読 感想を発表 2.自由発言 7月度研修会 7月25日(水) 丸勝建設 4名
1.「本」研修「悲しみの効用」五木寛之著 第3回勉強会 全員にて輪読 感想の発表 2.自由発言 |
パソコン分科会 7月14日 山下ソフト 5名 インターネットにての「大相撲中継」鑑賞 |
たけのこ山分科会 なし |
街歩き分科会 試案中! |
ゴルフ部会 なし |
落花生分科会 なし
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ものづくり分科会 なし |
異グ連交流グループ連絡会議 ●異業種グループ連絡会議 ●フォーラム・フェア委員会 H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加 |
第3回 7月6日 丸勝建設 8名 川田代表進行
1.7月定例会の議題 東京スカイツリーに上ってのお話を 2.8月度暑気払いの会場、 吾妻橋「とんぼ」にて 3.H1すみだ創立25周年記念行事について 4.各分科会報告 5.フォーラム・もの作り分科会について 第4回 8月6日 丸勝建設 9名 川田代表進行
1.暑気払いについて 2.9月〜11月度定例会議題について 3.2012年度研修旅行について 4.本年度・忘年・新年会について 5.「H1すみだ」25周年記念行事について 6.各分科会報告 7.各幹事各位よりの提案を |
「合唱とチームワーク」
鈴木 良昇
ブルーメンコール第11回定期演奏会
2012年8月4日(土) 晴海トリトンスクエアー第一生命ホール 私は地元混声合唱団「ブルーメンコール」にひょんに出会い、'50歳の手習い'で入団いたしました。この団は「国技館すみだ第九を歌う会」のメンバーによって1989年結成された「コール・ゾンネ」が1996年6月に吉田真康氏を指導者に迎え、新たに「ブルーメンコール」と改称してスタートした団であります。 ブルーメンと言う団名は、滝廉太郎の「花」(春のうららの隅田川〜♪)にちなんだ名前で、(ブルーメンBlumenとはドイツ語で「花」の意味)花の美しさやその息吹が私たちの心を和ませ、私たちの生活を彩ってくれるように、ブルーメンコールの歌声が多くの人たちの心に、美しく鳴り響くようにとの願いから命名されました。 第10回定期演奏会は、東日本大震災の余震の続く中、昨年2011年4月16日すみだトリフォニーホール・大ホールで開催されました。ホールはほぼ満席で私達の歌声が被災地の皆様に届き、元気になるよう精一杯歌い、またご来場の皆様たちから応援の義援金もいただき、福島県に送金いたしました。 さて、今年の演奏曲目は日本の美しい歌と題して「浜辺の歌」・「おぼろ月夜」・「椰子の実」他数曲とヴィヴァルディの「マニフィカト」「グローリア」を総勢65名で歌いました。本番当日は9時15分から発声練習、10時からは12時迄リハーサル(本番前の全曲チェック、確認事項、緊張感の中にもリラックスしてのひと時でした)、リハーサル終了後は各自で昼食また当日のプログラムが楽屋に配布され、本番前の緊張感が漂ってきました。 さて本日はどれくらいのお客様の来場があるのか、皆様で予測、チケット配布数の7割が来ていただければ満足? もしかして連日の暑さで7割に満たないかも・・・・ 1時30分開場前に再度演奏曲の確認がボイストレーナーの先生からあり、その後舞台下手、上手に分かれてスタンバイいたしました。場内の様子が見られるモニターからはぞくぞくと多くの来場者の姿が見え、7割は間違いない、もしかして8割以上の来場者数になると確認いたしました。1年5ヶ月に及ぶ練習の成果がはたして出るのか? 聴衆の皆様と一緒に感動を共有できるか? 本ベルが鳴りいざ舞台へ進みました。舞台に並び終え、ほぼ満席に近い来場者に心がときめき、私達の澄んだ歌声が真夏の大空にどれだけ響きわたることが出来るか、指揮者の合図と共に第一部、日本の美しい曲、皆様ご存知の曲から始まりました。 皆様がよく口ずさんでいる曲なので何だか変に緊張しましたが、無事全曲素晴らしい(!?)ハーモニーで終えることが出来ました。20分間の休憩時間後、第二部「ヴィヴァルディの世界」マニフィカトとグローリア難曲で練習時間の大半がこの曲のマスターにとられました。原語の問題、音取り、音符と言葉がついていけない、何度となく音取りCDを聞きながらやっと本番を迎えることが出来ました。 合唱は各パート(ソプラノ・アルト・テノール・バス)がそれぞれのパートを守り、尚且つ全体の調和(ハーモニー)を考えて聞き合い、指揮者とのアイコンタクトをしながら歌っていくのが大切だと思います。このような各自の個性を出しつつ指導者の下お互いに信頼関係を築きつつ日々努めていくことは、仕事面とも共通するものがあるのではなど、ふと合唱をしながら感じました。 また、団の最高齢者(85歳)の団員と共に舞台で歌わせていただき、自分もそのように素敵に歳を重ねていきたいと痛感した演奏会でもありました。 真夏の週末のひと時本番を終えての打ち上げの乾杯のビールが何とも美味しかったこと。 皆様!来夏の演奏会にお時間都合つく方、忍耐力のあるかた是非ともご来場願います。 |
両毛線
内海 恒人
H1分科会の足利と栃木の観光研修に参加しました。浅草発の「りょうもう号」白い車体に赤いラインの走り始めた頃はカッコイイと思っていた、もうなん10年も前か今でもカッコいいが。−−沿線に住んでいるのでしょっちゅう見ている。改めて乗車するのは初めてだ。私らの年代だから関東近辺の名の通った観光地はほとんど何回も行っているが、−−10年くらい前に湯西川温泉に行った時『けごん』の車内に「両毛線の旅」のパンフレットを見たことがある、足利学校、蔵の街栃木、一度は行きたいと思っていた、今回はチャンス。−−話とぶがどうゆうわけか浅草からの電車を東武伊勢崎線という、東武といへば日光、鬼怒川が本線と思っていた。この原稿を書くのに山下ソフトに世話になっている、早速調べてくれた、私も後で調べたが「東武(株)の沿革」に詳しく載っていた、上毛線を経由しての秩父のセメント、石灰石、葛生からの砕石等等,貨客両用に使用していたのだ。で伊勢崎線が本線、日光、鬼怒川は昭和に入ってからのルート、ちなみに亀戸線はJRに乗り入れて両国駅まで行っていたという、初期の終着は業平,−−押上、業平間に貨物ヤードがあった,今人気の東京スカイツリーはその跡地-、東武線の栗橋ここでJRは利根川を越えて古河へ、なぜか東武は左へ大きく迂回して利根川を渡っている?
12時過ぎで昼食の時間、川沿いの和食料理屋たいしたものない。海鮮頼んだが海なし県での海鮮丼あんなもの、他の乗客と乗り合いで観光船に乗る、ほんの数百メートルの川面を上下しておしまい。この栃木市は巴波川を利用しての船便で江戸時代から大いに栄えた、「船頭にこの川巾では大きな船は入って来れないですね、利根川からはどのようにして」聞いてみた、「利根川の支流渡良瀬川で大船から荷を小船に積み替えて帆をつかい牛馬、人力でこの土地まで運んだそうです」。−−遊覧船の船頭が掉さしながら舟歌を聞かせていたがそのへん様子を歌っていたのだろう。「娘船頭さんはいないの」聞いたらアルバイトで週末3人くらいいるという残念。−−ここにもうち等のほうと同じ曳船川があった。若い頃分らなかったが、地図見る余裕もない生活していたのだ、「渡良瀬遊水地」とってもない大きな葦原だらけの湖沼がある周囲は埼玉、群馬、栃木、一部は茨城にくい込むほど大きな遊水地だ。−−栃木の藤岡に知り合いがいて話を聞いたことがある「渡良瀬川は暴れ川でよく水害を起こしていた、明治時代に足尾銅山の鉱毒事件で農地が汚染され一揆騒ぎまで起きた。−−天皇にまで直訴した田中正三(佐野市出身の衆議院議員、佐野の厄除け大師に銅像がある)等の運動で鉱毒を沈殿させる目的でこのような遊水地を造ったのです。ですがこの土地に谷中村がありました。先祖代々の屋敷、田畑が湖底に沈みました。7割くらいの村人が北海道へ新しい土地をあたえられて移住しましたが痩せた土地でえらく苦労したそうです」。この藤岡の人達が北海道旅行に行ったとき移住先の村を訪ねた時は、懐かしさに村人たちは泣いて喜んだそうです。いつの時代でも犠牲になった人達がいたのですね。 フラワーパークは藤の季節が終わっていて薔薇の季節ツル薔薇のトンネルや各種の四季咲きの薔薇が百花繚乱,えもいわれぬ香り、大勢の着飾った観光客で賑わっていた。けっこう美人もいたバラに負けないくらいの。−−この足利の少し先に藪塚温泉がある20年も前だが足利の射撃場で研修をし一泊旅行(猟友会)したことがある、コンパもいない宴会でさえなかったが私が幹事ではない、ひなび過ぎたちょっとさびしい温泉地だった。翌朝スネ―クセンターに行ってみた、あまり蛇は好きではないのだがアナコンダ、マムシはじめ各種の蛇がウジャウジャいて気持ち悪かったのを覚えている。−−足利に昔地方競馬場があった、伊勢崎には競輪、桐生には競艇、北関東の人達は赤城山の国定忠治をはじめ賭け事好きな人種か多いのか? フラワーパークから徒歩10分、両毛線富田駅、佐野、岩船、大平下、栃木市駅、栃木駅は東武線との乗り換え駅でなかなか地方都市の駅にしては大きな立派な駅だ。駅中によく都会で目にする居酒屋まで入っている。駅から徒歩で15分歩くの苦手で「近いよ」といわれ我慢して歩く、巴波川(うづまがわ)この漢字読めなかった、流れもゆるやかでそれほど綺麗な川ではないが川岸に大きな蔵が軒をつらね水面に映える、観光船の乗客が水中の鯉にエサを投げると沢山の鯉、緋鯉が群がり水しぶきを上げてはねる。 −−テクテク古い宿場町を歩く「山車会館」この街の祭りは大そう立派らしい、関西からの近江商人ここでも幅をきかせていたらしい裕福な商人たちが競って山車を作らせたのだろう。−−県庁もこの市にあった。−−「列幣使街道」、徳川時代初期に、日光東照宮を建立,朝廷の代参の使者がこの宿場を通ったという、−−昔、日光からの帰りに鹿沼へサツキを買いに行ったことがある、その時通ったのが「列幣使街道」、日光の裏街道と思っていた、そうではなかった、朝廷からの使者だから京から中山道、倉賀野から伊勢崎、足利、栃木、佐野、鹿沼から日光へ、佐野に行った時にこの街道の看板を見たが何故か分からなかった。そういえば埼玉にその名の街道はない、今回調べてやっと分かった。 また栃木市の奥山に出流山万願寺というお寺がある、坂東三十三観音第17番札所で真言宗智山派の由緒あるお寺だそうだ。−−17番札所というから1番から33番まである、名前の知っているところでは浅草の観音様、千葉の笠森観音,日光の立木観音くらいか、なん10年前の話だが、私が住んでいる東墨田の事業者達のなかに真面目な方がいて敬神信仰会という出流山万願寺への講を創った、皮革関連の事業者が圧倒的に多かったが油脂の業者もほとんどが参加した。−−行きのバスの中では胴元がいて競馬の馬券で盛り上がり、参拝もソコソコに賭けマージャン、花札。−−夕食では初回からアルコール、焼き鶏等各種料理持ち込みで大宴会(向島の料亭もメンバーに入っていて芸子とカモメが何人か参加していた)。真面目な方たちもいてあきれ返っていた。精進料理を食べていたその方たちは当然2回目からは参加しなかった。そのうちゴルフが流行してきて一泊2プレーのゴルフコンペになってしまった。−−本殿に上がるのに正面からと横からにも階段がある横の階段に1段に1 個づつ講のメンバーが石柱を寄進した。あの頃は何んだかわけのわからない景気で神様、仏様にご利益お願いする必要もなかったのか。−−私は家内安全を祈願してお札をいただいていたのだが聞いてもらえなかった。−−石柱寄進し商売繁盛を祈願した事業者現在生き残っているのは半分もない。 |