6月度 定例会 6月9日(木) 中小企業センター 13+4=14名 司会進行 堀内副代表
手塚代表挨拶 1.お話の会 「提灯のお話」 (有)花藤 代表 櫻井悠子氏 「ちょうちんとは」 歴史・制作・文字・産地など、お話 2.各分科会より 3.H1だより 103号発刊説明 4.各会員のお話 |
7月度定例会 7月14日(木) 中小企業センター 参加者 11+1=12名 司会進行 中村副代表
手塚代表の挨拶 1.会員のお話 「相続で争族にならないように」 佐藤安洋税理士 福田会員紹介 2.各分科会より 3.会員による報告 近況など 4.暑気払いについて |
研修分科会 6月度研修会 6月22日(水) 丸勝建設 7名
1.勉強会
「創業者100人の言葉」第6回 全員にて輪読 感想を話し合う 2.「経営者の心得」第3回 各会員にて輪読 感想を出し合う 3.今回より中山会員入会・参加 4.各会員近況・他・お話 7月度研修会 7月27日(水) 丸勝建設 8名
1.勉強会 「創業者100人の言葉」第7回 全員にて輪読 感想を話し合う 2.「経営者の心得」第4回 全員にて輪読 感想を話し合う |
パソコン分科会 6/15 山下ソフト 5名 スマホ 縦書き 8月開催予定 |
ゴルフ分科会 6/17 「常陽カントリー」にてコンペ H1すみだ会員6名+外部6名=12名 |
街歩き分科会 8月開催予定 |
落花生分科会 なし |
たけのこ山分科会 なし |
小旅行分科会 なし |
異グ連交流グループ連絡会議 ●異業種グループ連絡会議 ●フォーラム・フェア委員会 H1、議長、代表、副代表3名、各委員2名参加 |
第4回 7月4日(月) 丸勝建設 9名 手塚代表進行
1.7月度定例会の議題について 2.9月度定例会の議題について 3.暑気払いについて 立石「魚つぐ」にて 会費 5,000円 不足分会にて負担 4.今後の日程について 第5回 7月21日(木) 丸勝建設 7名 手塚代表進行
1.9月度定例会の議題について 2.10月度定例会の議題について 3.8月暑気払いについて 4.有志による、旧街道散策について 5.その他 |
身延山 内海 恒人
7月10日猟友会の後輩に、家業の自動車部品の工場を止めてハイヤーの運転手を何年かやっていたいろんなことに興 味を持っている戦後生まれの、ソコソコの年齢の老大人がいる。10日の朝(日)6時に起きたら雲一つない上天気。銃砲店の射撃会に誘われていたのだが「梅雨の晴れ間のこんな上天気に、ゴルフならまだしも、射撃などやってられない」彼にTELする。何処に行くとは言わない。「7時に迎えに行 くから」それだけ。−−中央道の談合坂でトイレ休憩、運転手交代そこで行く先の「南アルプス市」をカーナビに入れる。 数年前まで塩山に取引先があり若いころは4.5トン車で良く往復していた。中央道は登り降りが多く、荷を積んでの降りには随分気を使ったものだ。で、この辺までの地理はよくわかっているのだが、甲府から先はあまり行ったことがない。甲府からだいぶ走って双葉ジャンクション、中部横断自動車道に入り南アルプス市で降りる。『何故ここに来たのか』先日 テレビ局は忘れたが、この地域は果樹の産地で、この時期スモモの収穫期で地元のJAが農家の皆さんと協力して開発した「大石早生」を特産品にしようと頑張っているのを見たので。−−どんなところか? 興味もあったし真面目な農家さんの笑顔も見たい。 高速下りてすぐのところ(在家塚)にJAの直売所があり、ここが目的地さして広くもない店内、大勢の客が並んで待ってる。お目当てはスモモではなくて白桃。スモモもあったが、バラ売りあまり人気はないようで、沢山並べてあったが売れてる ようではなかった。この時期、桃の季節には早いと思っていたのだが、客は白桃を贈答品に使うらしくそれで混んでいた。 随分昔だがオウムの上九一色のサティアンを見に行ったこと がある。本栖湖から下部温泉方向へ向かった。上九一色は富士 の裾野のはず、気が付いて戻った記憶がある。富士の裾野はとんでもなく広く大きい。(朝霧高原)や(自衛隊の演習場)など 富士サハリパークもある。 **国道52号線を下ると市川大門。この町は江戸時代から、和紙の里と花火で有名。富士川 に沿って走ること小一時間、やっと身延山久遠山寺の門前町に到着。最近多少の坂道でも息が切れる。白装束の信徒は団扇太鼓をたたき浄 妙を唱えながら門前町を上っていくのだろうが、歩くの苦手で、車で ケーブルの乗車駅まで、おおきな駐車場があった。九遠寺の本堂にお 参りして振り返ると徒歩でお参りの信徒が階段を上ってくる。やはり ご利益を望めば多少の苦難はつきものなのか? ケーブルで奥ノ院までは7分、ある程度晴れていたのだが、お目当ての富士山はホンの少し見えるだけ、あまり菩提寺に墓 参りも行かない信徒だ、当たり前か? 日蓮上人が故郷の両親の長生を祈願し、夫婦杉を、お手植えしたという杉の大樹が左 右に、750年前、いまだ現役、屋久杉の3000年には遠く及ばないが、威風堂々、他を圧している、幹回りはどのくらいか? ちなみに「ご両親の住んでいる房総はどの辺ですか」と聞いてみた、「富士山の陰になります」と売店の女の子。味噌団子 をかじりながら−−奥ノ院に参拝。ここで御朱印をもらう最近は 御朱印帳を持って参拝に来る人が多いという。御朱印帳のない方 に和紙の朱印を置いてあるが、値段はない「志し」書いてあるが さすが500円玉はなかった。「商売がうまい」。ケーブル終点近くに中ノ院がある、ここに各種のお札やお守りを売っている、 はかま姿の若い女性「南無妙法蓮華経」の札を買い「ここに分骨するのにはどんな手続き必要ですか」と聞いてみた、奥から男性の僧侶があらわれて「本堂で細かく説明をしてくれます」−−なんでも手数料を払い、分骨し袋に詰めて送り、年間の供養代を納めれば、僧侶たちが毎朝お経をあげてくれるのだそうだ。私の「祖母」婆さんが熱心な信者で、近所の葬式によく白装束に団扇太鼓数人で、仏の後を妙法を唱えながらお寺まで送っていたのを何回も見た。まだ私が小学校低学年の頃、柴又の 帝釈天に連れて行かれたのを、大人になって、柴又駅に行った時に「アッ、ここ来たことある」古い木製の京成電車。「草団子」と子供の土産の「木登り猿」60年前に亡くなった婆さんを思い出した。当然先祖はここ久遠寺に分骨されているのだろう。「母親が4年前に亡くなったので私もお願いしようと思う」いいことありますか? の問いに「お母さんは何歳でしたか」「103歳」と答えると、「お祖師様のご利益をお母さんは沢山いただいて長生されました。残念ながらもうご 加護は残っておりません」私には神仏の加護は必要ないらしい。これからは神社仏閣にお参りするときは100円だった賽銭を1000円にしよう。でも、考えてみれば81歳になっても海外旅行やゴルフができる、健康に身体を保っていられるのはやはり神仏のおかげ。感謝しなければ。 *身延山から52号を下る途中のレストランで昼食、52号の終点は興津なのに道路標識は静岡までの距離が出てくる。まだまだかなり遠い、食堂で隣の客の小父さんに聞いてみた。「少し走れば新東名の清水インターがある」。車載の地図に載ってない。やはりカーナビ取り替えなければだめか? |
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弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。 自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか? 文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。 人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ベストアンサーに選ばれた回答 え〜っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません 弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません 虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています *** 自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です 個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます 全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます 個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです 種レベルでは「適者生存」です この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません 「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです (「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです 必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります 多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、 あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り 「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです 10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります 「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります 人間の生存戦略は、、、、「社会性」 高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する 個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる" 弱者" です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の" 弱者" を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します 人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました 生物の生存戦略としては大成功でしょう (生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません) 「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です 遺伝子によって発現されるどういう" 形質" が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です 例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです (「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです 「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです 我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 質問した人からのコメント 降参 どの回答もよかったですが、貴方様の回答が読んだ際一番面白く、興味深く読み進めることが出来ました。 ありがとうございました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 引用:山下茂
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